報いる という事


人にまんべんなく、愛情を込めて接する事が出来る人なんて、

この世に居るとは思える事が出来なかった。

そんな人間は 偽善者極まりないと思っていた。

そんなひねくれた考えをもった人間でも、

この人ならなんか素直に話せる。

とか、

人との接し方を教えてもらえるというか?

とにかく、誰に対してでも、平等で、

気持ちのいい、人との付き合い方を学べる人間がそばに住んでいた。

そんな特別といっても良いくらいの人間が、

そばに住んでいながらも、

安心しきって、

いつでも会えるだろうと、気軽に考えていた。

そんな、自分からして特別な存在が.....、

そんな人こそが、思いもよらぬ、

全く、思いもよらぬ事で、

二度と会う事が出来ない存在となってしまった。

とても、悔しくてしょうがない。

なんで、もっと、気軽に、気楽に、

接する事を自らしなかったのかと、

とても後悔してしまう事が、

現実に起こってしまった。


そんな現実はいつやって来てもおかしくないとは、
既に38年間生きて来て、教訓を味わっているはずなのに。

ばあちゃんや、じいちゃんに教わった事なのに..........。


油断というか、日々の暮らしに馴れてしまい過ぎていたのか?

悔やんでも悔やみきれない自分のお気楽な

考えが、後悔を招く。

上手く言えないけれど、

いつでも会える、と思う、安直な考え方は、

今日で撤回すべき、最大の反省点である。

本当に後悔している。

人として、誰に対しても平等に対応する、

思った事を素直に言い放して、人と真っ正面に向き合う

彼の生き方は、後輩だからといっても尊敬に値するというか、

見習いたい部分が、山ほどあるとは、

このブログ上でも何回か書いた事があった。

なんで、そんな人間こそがこの世から居なくなってしまうのか?!

神様は自分らに何かの教訓を与えようとしているのか?

だとしても、こんな哀しい事はない。

この現実を噛み締めて、何かを学ばなければ、

報える事は出来ないのかな。

何かを感じて、生き続けていく事こそが

報いるなのかもしれない。