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感覚的におもうこと

初期設定


 先日仕事と言う名の野宿遊びから帰ってきて、
ふとTVを付けたらたまたま、
「ザ・ノンフィクション」という番組が放映されていた。

ある女子高校バレー部の"体罰という教え"をテーマにした内容で、
それが果たして良いのか悪いのか?そんな特集。

正直、人ごととは思えず思わず見入ってしまった。

番組としてのこ答えは、

  「そこには愛があるのか?」という言葉で終わった。

自分自身、スタイリストをいう憧れの仕事に就くために、
スタイリストの師匠に指事しアシスタントを経て独立し、
晴れて、独立に相成ったのだけれど、
自分も、仕事をして行くうちに、1人ではこなせなくなり、
周りのスタイリストと同じようにアシスタントを雇って、
自分の仕事のサポートをしてもらっていた。
そんな彼らに対して、自分も体罰に等しい行為や言葉を発してきたのは
否めない過去がある。


そこに愛情があったのか?

今思うと、運良く仕事にもありつけ、どうにか上手い具合にやって来れたのも
一緒に仕事をこなすアシスタントが居てくれたからだ。

中途半端に師匠という立場に寄っかかって、
調子こいて偉ぶっていただけなんだなと思う。

スタイリストの技量は身につけられてたとしても、
人に教える事、育てて行く事なんて
全く備わっていなかったんだなって。一緒に育つ事を無視して
勝手に自分お手柄の様にやってただけなんだなって。

その当時は間違っていない"指導"のつもりでいたんだけれど、
ただのひとりよがりだったんだと改めて思った。

思い返すと、自分にはそれが全く無かったんだと改めて
その番組を見て思い知らされた。

今自分は、子を育てる立場の父親。
父親になってからやっと、愛情ってものがどんだけ重要なのか、
子供と接して見て、今更ながらすこしずつ解って来た。

自分を育ててくれた親の気持ちもやっと解るようになって来た。

今更感がハンパ無いが。。。

家族に対しても、親に対しても、それこそ友達に対しても、
できれば見ず知らずの他人に対しても。
「愛情」を注いで行けるか?自分課題なのだ。

初心忘るべからず。  

一度、初期設定に戻すのは今がタイミングなのかな?


なんて、さっき久しぶりにサシ呑みした友人
と呑んで語ったいきおいで書いた、朝見たら恥ずかしい内容
かもしれないおはなし。

乙さん-CAP

自分らの世代は、先輩方の海外の憧れに対しての貪欲な研究の積み重ねのお陰で
雑誌と言う、お洒落の教科書を読んで、いとも簡単に「Fasion」
を手に入れる事が出来たんだと思う。

かっこいい洋服とは何?
どんなブランドがいいの?
何がトレンドなの?

この服の歴史は?
どんな音楽がいいの?
どんな車に乗っているとかっこいいの?
トラディショナルって何?トラッドって何?

簡単に雑誌と言う教科書を作ってくれた先輩方のお陰で
お洒落を手に入れる事が出来たのは事実。

もちろん同世代でも、そんな雑誌に捕われずに、ネイティブに

ファッションを染み込ませていったヒトたちもいるであろう。

輸入洋品店とか近所のお洒落な兄ちゃんとかいろいろ.......。


僕は田舎もんだし、普通に雑誌が先生であった。雑誌のお陰で、

お洒落に目覚める事も出来たし、知識を得る事が出来た。



じゃあ、

そんなお洒落な先輩の更に先輩の場合はどうなのであろうか?

自分の親父世代は、そんな事は無い。多分。

ごく一部の人間だけに与えられた世界に通じるお洒落?!

ファッション雑誌なんて無いはずだし、そういう情報を手に入れられたとしても、

モノを手に入れる事はかなり困難だったはずであり.......。

まあ詳しくは分からないけれど、親父の世代のお洒落と、
僕らの世代のお洒落とは確実に 根本が違うと思われ......。

そんな根本の差が明確に分かって

面白い親父世代のファッションアイテムのひとつが、

おっさんCAPである。

そのCAPの事は、本人はよく理解していないけれど、

機能性として気に入って被っているおっさんのCAP。

そんな雰囲気が読み取れてしまう、とっておきのファッションアイテム。

その絶妙なバランスが見ていてとても魅力を感じる。おっさんCAP笑

もう少しで、その親父世代以上のヒトたちが、寿命を迎える時、

そのファッションは絶滅してしまう可能性がある。

だから記録として残して行く必要性を感じている。

このファッションは、この世代にしか作れない絶妙な美意識なのだ!!!!!


なんつって、カッチョ良く書いたけど、

ただ単純に、面白いっつう事と、

絶滅危惧種のファッションスタイルだっつう事を記しておきたい。


2129.jpg

 TITLE:「乙さんCAP」


Photo :杉崎J太郎



J太郎!写真集をつくりたまへ。

自由って


先ほど帰ってきて、きょうもまた、良い酒が飲めたなと

ふと思った、SOTOKEN編集部反省会。

ニコタマのいつもの場所  丸金にて、

杉崎J太郎ジェリー鵜飼氏と

二人のJコンビと3人で、鵜飼さんから色々教わりながら、

意見をぶつけながら、思った事を話し、最後に次のソトケンを

どういう企画にするか話し合って別れた。

反省会って、何がいけなかったのか?何が気にくわなかったか?

俺はこれが好き、これは嫌いなんて 意見をぶつけた上で、

お互いを知り、知った上で

「じゃあどうしようか?」

って話し合う事が大切なんだなと改めて実感。

コミュニケートしないかぎり、先には進めないものなんだな。

頭の中での共有と、やりたい事、充実する事を皆で分け与えて

一つのものを作って行く。


真剣にふざけた事を考えて、

真剣に取り組む。


一つの"根っこ"を毎回確認し合って、

その"根っこ"に沿ったものを築き上げて行く。

つうことが、反省会なんだよなきっと。

なんて、3人であ〜だこ〜だ言いたい事を話し、

一つ、忘れていた事を見つける事が出来た。


ファッションって一度は大嫌いになった自分だけれど、

じゃあなんで好きになったかと言う事。

それは、鵜飼さんが教えてくれた、アラン・ワッツと言う哲学者?

の言葉から繋がっていった。


自分もこの人のいうように思った事を思ったように動いて

暮らしてきたいなと思った。

深く同感した。

行きて行く上で、とても難しい事ではあるけれど、

自分が根底から思っていた事はここにある。

ファッションを一度は嫌いになったけれど、

なぜ自分がファッションを好きになったのか?

と言うと、

ファッションには、規制あるこの世の中で、

一番"自由"を感じる事が出来るジャンルなんだなって、

今日3人で呑みながら話していて、今更ながらに思い出した。

ファッションって、自分が知っている中では

一番 「自由な枠の中」に存在すると思うから、

あれやこれや、規制が少ない環境というか、寛大さ?

を持ち合わせた"場所"なんだと確信できる。

だからそこに誘われ吸い込まれていって今があるのかなと。

ただの洋服 ってだけの着飾る事だけがファッションではないなと。

より"直感"に近い"場所"を素直に受け入れてくれるのが

ファッションと言う世界なのかなと。

だからやっぱり、ファッションと言う世界は好きなんだと改められた。

勢いで書いてしまったけれど、眠くなって来たので、この辺で。。




SOTOKENは アラン・ワッツのいうように、

やりたい事をとことんやりきれる場所にしていこうと


決めた。


憧れの.....

岩手県岩手郡滝沢村出身

郡って何? ダサくない?
村って何?ダサくない?

この時点で、すでにコンプレックスの固まりに
自らの妄想で成り立ちつつあった少年おかべ君。

そんなおかべ君がどうしたらださい存在にならないのか?

と、勘違いして憧れたファッション業界。

お洒落に成れば、僕もダサくはないと。

その前に、ダサいってなんだ?
「ダサい」を変換していたら、
いきなり出て来た「駄作」という言葉。
きっと、これから生まれたのであろう、「ダサい」という言葉。

という当てずっぽもださいので、しっかりと調べてみたら、
「田舎」という言葉を"だしゃ"と読み直した上での
だしゃい=ダサい  みたい。全然違ったっす。。。

話は戻り、

岩手県岩手郡滝沢村出身の自分は、この時点で勘違いしていたのだ。
(きっと)


田舎生まれがダサい。とか
岩手県がダサいとか。
なまっている事がダサいとか。
ダサいに過敏にこだわっていたのだとおもわれ....。

ダサいって言葉を、全く気にしなく成ったら、
やっと"一丁前なおっさん"に成れるのかもしれない。(きっと)

そんな自分。

東京に出て来たのは18歳。
皆と一緒で、大学に進学する人もいれば、就職するやつもいる。
とりあえず上京して、アルバイトするやつもいれば、
夢を追っかけ、何かに成ろうとするやつもいる。

自分は、高卒で、東京の印刷会社に就職したので、
東京にやって来たのだけれど、
当初は、東京なんておっかなくって行くべきところではないと、
仙台あたりの専門学校に進学しようとしていた。

単にビビリであったのだけれど。。。。

そんな自分。こわごわと嫌々東京にやって来て、

やっと東京の生活に慣れた数ヶ月後、久々に地元へ帰ると、

「なっつかしい!岩手!超田舎じゃん!」

なんて、東京人ぶって、岩手を小馬鹿にしていた。

今思うと、それが「ダサいってことだべ!!」

と、自分に言い聞かせたくなるけれど、

その頃は調子がいいもんで、気がつくはずも無い若気ノイタリ。。


そんな自分、方言も意識して、なる早で治し、東京人たるものは?

と息巻いておった。

岩手には無い、ビームスに鼻息荒げに入店し、

ドキドキしながら、ビームスだ〜!なんつって、

渋谷店で接客を受け、欲しくもないオリジナルの
スタンドカラーの青いチェックのプルオーバーシャツを
買ってはひとり喜んでいた。

「俺、ビームスで服買った!」

って事が、カッチョイイ行為なのであった。


その当時、穴が空くくらいファッション雑誌を読みあさり、

お洒落に成れば、カッチョイイ!モテる!ダサくない!

って事にばっかりアタマがいって、

「お洒落!」ということよりも、「ダサくない!」

ということが重要だった気がする。


そんななかで、自分の感覚だけが確かであったのは、

ビームスの店員さんはとても洒落ている

という事であった。

それはユナイテッドアローズにも言える事だけれど、

セレクトショップの店員さんは、ずば抜けて洒落ていた。

素人でも感心するくらい洒落ていた。

お洒落ではなくって、"洒落ている"のだ。

洋服を心底解っていて、それを楽しげに着こなすセンス。

セレクトショップの店員さんは、憧れの存在であった。


今の自分はそういうお店の人と接する事が出来る立場になれたのだけれど、

改めて、当時のセレクトショップ、特にビームスの店員さんには

感心させられるくらいお洒落だな〜、と憧れた。

そんな自分が、やっとのこと、スタイリストとして駆け出した頃に

こっそりと掲げていた事は、

洋服の事に関して、とても詳しいビームスのスタッフ(セレクトショップ)

に、「良いねぇ〜!」って言ってもらえるようなスタイリングを作りたい!

なんてことを掲げてず〜っと仕事をしていたのだ。


それは、以前、先輩スタイリストの古田さんがポパイの巻末の連載で
同じようなことを言っていた事を 
この文章を書きながら今思い出した。
その連載を読んで、とても共感した覚えがある。

洒落の解っている
ビームスのスタッフに認められたい。
それがスタイリストとしての憧れなのであった。
その目標が、自分を育ててくれた部分もあった。

ビームスでモンベルを扱っているから
小馬鹿にしていたモンベルを見直し、
ビームスで知らないブランドを扱っているから、
そのブランドを質の良いブランドだと認識した。

エイスとか、ブルーナボインとかサイとか。。
(昔あった意外なコンセプトお店。B.E.)

ビームスのお陰で民藝にもに興味を持った。


今は、デカくなってしまって、
昔ほど斬新な魅力は若干少なくなってしまったけれど、
やはり、僕の中でのセレクトショップはビームスなのであったのだ。

っつうはなし。

断捨離

今日は大掃除という名目の断捨離日。

要らないものを見極め葬る。

1、いつか使うんじゃねえか?

なんつって取って置いたものも、

2、これ捨てるんなら、あいつにあげたら喜ぶかな?

なんて言う思いつきで取っておいたものも、

3、直せるものなら直して使いたい、

という気持ちのモノも、全ての気持ちを抑えて、

ゴミ収集所に葬ったった。


「ごちそうさんでした!」なんて気持ちのいい言葉を

返せない程度しか、接していない"モノ"もたくさんあったけれど、

やっぱり、断捨離ってのはスッキリする。


モノを大切に扱う。必要なものを吟味して買う。

ずっと使い続けられるものだけを残して、暮らして行く。

って事はようやく意識できるようにはなったけれど、

物欲に身を任せ、思わず!な衝動買いはまだまだ
やっちゃうのは致し方あるまい。


ゴミを増やすのって?どうなの?って矛盾な気も

ふと思ってしまうけれど、

人間 今更キレイゴトは言える立場じゃあないとは思う。

みんなモノを作って売って暮らしているのだから。



ただ言えるのは、

思い切って捨てるのは気持ちが良いぜ!

っつう事だけだ。


少し家の中が広くなった。


てか、ナイスな古着屋さんは多いけれど、
センスのいいリサイクルショップって無いのかな?
アンチークショップとかではなくって、
センスの良いものをそれなりの金額で買ってセレクトしている
気軽に売買できるリサイクルショップってば。。。



とかいっといて、

来年1月末か2月アタマまでにわたくしの作業場
オカベスタイルラボにて

予約制の その名も

「フリマひとり」

を開催したいと思い〼。

以前、青葉台に作業場があったとき、
初めて 予約制 という手段で
ひとりでフリマを開催した事がありましたっけ!
意外と、予約が埋まって、意外にも売れたってのが
嬉しくて嬉しくて、印象に残っております。。

その第二弾。 「フリマひとり!
果たして、予約は来るのか?!埋まるのか?!
という事で、第二弾詳しい事が決まり次第、
改めて告知したいと思い〼!

予約埋まると良いなあ〜。



主張?


 ここ最近 全くブログを書いていないな〜。とふと思った。

気にはなっていたけれど、
書く意欲が無い。というと嘘ではないけど、
 意欲ではなくて「欲」が無くなったというか?
書くネタが思いつかない。

いままでは、たしかに誰かに見て欲しいという想いがあって、
自分が感じた事、
楽しかった行為、
思いついた遊び、
今日やった楽しかった事
などを写真に収めたりして
掲載して文も書いてきたけれど、

それが、なんのためなのか?自分の為?であるならば、
そこに興味が無くなってしまったのかもしれない。

決して、後ろ向きな事とは全く思っていなく。。。

最近は、SNSが当たり前だし、誰でも、何かを簡単に
発信する事が出来るという部分で、ある意味
アナログなブログ。 
SNSの進化で書かなくなった人
も多いとおもわれる。よく解るけれど、
自分はそういう訳でもないしな。

やはり、楽しい場所が
他に見つかってしまったからなんだろう。きっと。
新しい表現の場が。

ブログなどで
自分を主張する。

主張 をして行くという行為は、
自分の仕事に置いても重要な役割を示しているのは事実。

主張は自分が大好きな行為w。

人付き合い下手ならではの自分は、
誌面やブログなどで主張するという静かな主張がお好み。

私生活や、趣味志向をブログに書いて主張する事によって、
人から興味を持たれ、そこから仕事に繋がる事も多かった。

がしかし、自分を全面的にプライベートな部分まで、
主張して行く楽しさ?自己満足がいつの間にか、覚めてしまった感はある。
冷めた訳ではなく、覚めた。

GOOUTの連載だとか、WEB Shop運営だとか、新たに、
自分自身がやりたい事をやる 場所 が見つかったからなのかもしれない。

だから、自分が別の動き方で主張できる有り難い環境にいる今、
このブログはあまり活用しない事になりそうだ。

とても書きたくなる事もあるとは思うけれど、

わざわざ写真とか撮ってまでして、 

美味いご飯を堪能中!だとか、

こういうところへ行って来た!とか

今これにハマっている。

そういう事を書いて誰かに主張してもあまり面白みが無い

事に覚めた。

書きたいな〜と思う事を思いついたら
書いていこうと思った、今日この頃。

つってもやっぱり、文章を書くのは楽しいな。

改めて。

もっと本を読んで、おもしろおかしく文を書けるようになりたいっす。


      

市場kargo


 東京の卸市場といえば築地。
築地に遊びにいってみると、必ず荒物屋さんに
ぶら下がっているのが、市場カゴである。
最近は中国製が多くなっているのだとか?
松野屋の3代目 松野社長に伺った話だ。

日本製は我が地元岩手の一戸というところで

ず〜っと前から竹細工の市場カゴを作っていた。

日本のトートバッグと言っても過言ではない、市場カゴ。

そんなオラが地元の手工芸、鈴竹の市場カゴをもっと
街で持っていても様になる仕様に出来ないものか?

なんてず〜っと思っていた。

そんな想いを共感しあえた木村先輩がきっちり解決してくれたのだ。

今だからこその、日本人の得意とするワールドワイドな
mix上手を、より日本的なものを逆に海外remixしていく作業が
いよいよ、ファッションの世界にも到来し始めたのではなかろうか?

なんつって、知ったかぶりはチョー得意な自分だが、

感覚的に、今絶対にファッションの世界も、

日本的をプッシュすべき時がやってきたのだと思う。

なんつって、カッチョイイ言葉を並べているだけだけれど、
単純にそれが今自分の中では面白いってだけだ。隙間産業である。

バリカンズという和製仏語名義のチームを発足してから、初期メンバーでもある、
後輩、岡正己のセンスにも影響を受け、
「日本的」とか「和」というものに、遅らばせながら興味を持った
訳だけど、

日本人が、西洋的なものよりも、我がルーツの日本的なデザインを
より好きになって、日本人である事の素晴らしさをさらに噛み締める
には丁度いいタイミングがやって来たのではないかと。
ファッションって流行を意識しすぎている世界で、世の中からしてみると

素晴らしく素早い流行感覚を持っていると思われがちだけど、

日本的 という自国らしさ に対しては、

ちょっと取り残されている気がしてならない。

かといってファッションて、表面的に思われがちだけど、

意外と、世情にとってはとても重要な役割を持っているとも思う。

民藝が見直され、自分を含む若い人にもやっと、
日本の伝統工芸や手工芸に興味を持たれ始めた今、
洋服だけが、まだまだ日本製をあがめるだけで
デザインとしては取り残されている気がする。

日本的をもう少し勉強して、日本的な新しいファッションを
打ち出す事をスタイリストの端くれとして、加担していけたらなっつのが

今の楽しみ。バンタンデザイン研究所時代の旧友の

角川ともそんな話で共感し盛り上がった。

やつは既に、山形のほうき座布団を作る職人さん達と交流を深め

独自の動きを見せていて頼もしい。


CA3I0213.jpg



欧米に影響を受けて、それを活かして現代的にリミックスしていく

日本的ファッションに身を包む人々が世に蔓延るのを

この目で見てみたい。な〜なんて想像しながら。

例えるなら、明治維新後辺り?の西洋まじりのニッポンの風景か?





なんつって、思いついたものの一つが、

市場kargoである。

_MG_1267.jpgのサムネール画像


なんか久しぶりに気持ちのいい文章が書けた気がする。

やっと、自分なりのゲリラガーデニングのやり方が解ってきた。


ヴィレッジヴァンガードで、ふと見つけた平野太呂君の写真集。

「東京の仕事場」

ソコに写っているヒトたちの仕事場もヤバかったけれど、

彼の写真ももちろんかっこよかったけれど、

そこに添えられた文章がまた、良かった。

(因みに、コバさんから名前だけは聞いていた、DEPTの創設者
の仕事場を観て、小林先輩と仲が良い事が理解できた。。
という気がした。)

その一番最初に登場する、小暮徹さんというカメラマンさんがおられて、

そのお方と平野君が知り合った、経緯が書かれていて、

なんと、既に8年ほど前から、その小暮さんは自宅の近所などに
種蒔きをして遊んでいたらしい。

その取材撮影したのが、平野君が知り合ったきっかけだったそうだ。

そんな小暮さんが、目黒の青葉台にある自宅の屋根の上で
ズラ〜っとプランターを並べ、農園ばりに野菜を作っていた
事は知っていたけれど、まさか数年前に、

すでにゲリラ的な行為をしているとは知りもしなかった。

もしかしたら、気になっていた、青葉台近くの菜の花が群生している
スポットは小暮さんの仕業なのかもしれない。

そんな小暮さんとコバさんも繋がっているからこれまた面白い。


平野君の文章と写真にはとても惹かれる。

素直な言葉でわかりやすいからだ。


子どもの頃、何が理由でか覚えてはいないが、
自分のかあちゃんに、


「俺の名前の由来は何か?」


と聞いたところ、

「文学者に成ってほしいという願いからよ。」

なんて言われて、へぇ〜なんて言いながら納得したものの、

読書感想文なんて大嫌いだったし、

文を読む事も書く事も全く興味がなかった。。



このご時世の、ブログなんぞと言うものから、

文章を書くのが好きになった訳である。ZOZOに感謝。笑


人の話をろくに聞けないし、話すのはヘタクソだから

人と接する事がとても苦手なんだけれど、

文章は、ボキャブラリーが無い自分でも、

どうにかゆっくり考えて、書き直して人に気持ちを伝える事ができる。

せっかちな自分でも。頭の中を整理整頓できない自分でも。

それを知れた事によって、より好きになる事ができた。

だから、「文」を書くという行為は自分に向いている気がする。


かあちゃんから教わった、

親父がつけてくれたのか?誰がつけたのか?

俺の「文彦」の名前の由来が、

さすがに文学者には成れやしなかったが、(成れる訳も無いがw)

「文」を書くという事を好きにさせてくれたのかもしれない。








なんつって。


センス

という言葉  

物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き 感覚。
または、それが表現されたもの。 


だって辞書に書いてるけど、


センスって 元から自身に備わっているもの。

なんて思い込んでいたけど、そんな事は無いと思い直せた。

もちろん、育った環境で左右される部分はあると思うが、

その育ち方を意図的に変化させれば、センスは身に付いていくものなの

だと今思った。

なるべくいっぱい多くのものを

見て

視て

観ていって、

感じ取って、

その中から、自分の好みを見つけていって整理していく。


整理していった事から、自分の好みや好きな

モノ

コトが

はっきり明快になっていく。

その"ふるい"から落ちないで残ったモノ

が自分らしいセンス なんだと。

左脳より右脳型な自分としては、半ば唯一

みんなと共有出来る場所が 

ファッション的センスの枠なのかなと。


そんな

その人のセンスをわかりやすく垣間みれるのが 

Sumallyという半ば物欲サイト笑。

賛否両論あると思うけど、
僕はとても楽しんで利用させてもらってます。


その人の欲しいものや持っているものを目で見て

共感出来て、会話がなくとも、話せるというのは

自分には嬉しかったりするのだ。





もちろんセンスとは

スポーツだとか、
お金稼ぎだとか、
人付き合いだとか、
女性を口説く

とか様々なジャンルのセンスってあると思うけれど、

自分の中で、唯一発揮出来るセンスは ファッション的な枠でしかない。。
残念ながら笑。

そういった枠の中での センスのはなし。



面白い看板

NCM_0124.JPG


結局 
ここで遊んでは行けないってこと?
じゃ何して遊んだら良いんだろか?!

一応の看板なのかな?

暗黙の了解で

ここで普通にキャッチボールや
サッカーをやっている子どもや大人はいた。

「一応」

一応 これを掲げることで

遊ぶ人は少なくなるという、管理側のコントロール?

なのかもな?

ここの周りは道路で囲まれているから
ボールとかが転がったら危ないことは確か。

だから人が少なくなることでそれを抑えられることは出来るという意味での

「一応の規制看板」ということか?!




そんな僕は東京で釣りをするときに、

「立ち入り禁止」

とかいてある場所こそ

興奮してしまう。

ちょいとビビりながらも

「釣れるかも!?」

が頭ん中で先行して (先攻?!)

入っちゃうんだなこれが。。

これも一応

「立ち入り禁止」

と掲げないと、いっぱい人が入ってきちゃうから

掲げておいた方がよいんだな。きっと。



田舎には、たくさん立ち入り禁止じゃない場所があって、

都会には人の多さのための

立ち入り禁止な場所が多すぎて。。

田舎者からしてみれば、

なんでここが禁止なの?!って思うところもたくさんあって。

と考えた場合の、「自己責任」

という遊び方ってのが一番良いのかなと。

と思いながらビビりながら立ち入り禁止に入っていく面白さは格別です。

次にでるSOTOKENもそんな感じの内容となっております。笑






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