快気祝い

  うちの義母さんが年末に入院して 年始の12日にやっと退院ができた。およそ47日間の絶食、点滴の生活から復帰した。

うちの奥さんは、高齢の義父さんの身の回りのお世話もしつつ、病院へ通っていた。
一日置きで実家の津田沼まで通っていた。

そんな年末年始。お正月はもちろん津田沼で過ごしたけれど、
義母さんは大晦日と元旦の2日間、お昼から夕方までのみ外出許可(2回)が出て
、家族で新年を祝うのは8時間のみ。飲み食いもできず、お茶っこのみですごし、寂しい新年であった。。

そんな義母さんも退院から一ヶ月が経ち、快気祝いをしたいと、自ら誘ってくれ、
今日は電車で八千代まで行って、老舗らしい蕎麦屋さんで懐石料理を食いながらの快気祝いを催してくれた。
お昼から、義母さんの姉ちゃんのクニコおばちゃんと旦那さんの青木のおじさんと
一緒に昼からお酒を飲んで、話を楽しんだ。

もちろん義母さんは酒は飲めなかったけれど、快気祝いってのは何気に初めてだったし
なんか気分がよかった。

いつもは車でプイ〜っと行くから、電車は二度目で、東西線で意外と乗り換えも少なく
簡単に行けたし。。。車もいいけど電車もいいな何て思った。。

義母さんはやっぱり、岩手出身ってのがあるから、何かと仲良くさせてもらっている。
一度結婚したての時に、思いっきり怒られたことがあって凹んだけれど、今でもタメ口で
仲良く話せているし、南部鉄瓶の職人の娘というのもあり、意気が良くって、ギャグも飛ばすし、面白くって自分は義母さんと接することが好きだ。夫婦喧嘩のひどいのをやった時も義母さんに相談にのってもらってたりしてたっけな〜。。

そんな義母さんの入院でちょっとでも弱くなってしまった姿を見て、寂しくなったし、
現実も考えさせられた。
自分らにとっては、意外にも早くこういう状況を味わうとは思ってもみなかったけれど、
必ずいつかは誰しもが味わうわけだし、もっと若いうちにその辛さを体験している人も少なくないのだろう。

うちの親も今はまだピンピンしているが、いつどうなるかわからんし、自分だってそうだ。
元気なうちに稼いでおかなければ家族が大変になる。いつ死ぬかもわからないから、

生命保険は入っている。

そんなことをやっと現実的に考えさせられた年始であった。

今のうちに義母さんたちともっと接していっぱい吸収しときたい。それはとても重要なことだと思った。戦前を知っている数少ない身近な存在だからだ。



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昼間の東西線のグリーンのシートが誰もいないっつうのもあってか素敵にみえた。
快速は非常に良く揺れ、読書を妨げたけど、快晴だったし心地よかった。
大きな川を越えての千葉へ向かう風景は気持ちよかった。




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さわ田茶屋という歴史あるお店らしく、
なんとかの宮殿下の別邸を譲り受け移築した建物なんだとか?
庭には池があって錦鯉なんかもいて風流であった。庭師をしている青木のおじちゃんは
感心して庭を眺めておった。


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最近では当たり前に、思わずピースをしてしまうが、行きしなに読んでいた
みうらじゅんの万博世代はピースではこっぱずかしくってイヤミの「シェ〜」ポーズがお決まりだったとか。。俺もこれからオリジナルのポーズで決め込みたいと切に思った。


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立派な漆塗りのお椀が出てきて.....。こっそり持ち帰りたくもなった。イケてる!


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室内には様々な「書」が飾られていて、トイレの額にはこんなメッセージが。。。
考えさせられながらも、小便を便器に向けて発射していた。
俺様は聞かず、喋り捲って、何言ってるのか抽象的で、思いは強く聞こえるが伝わらない。
行動に出ようと思う。

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北国の血筋である。千葉になんか住んでいないで、みんなで岩手に帰って暮らしたい。
何て思ったりもして。。。

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