山に暮らす 実家出る


母ちゃんが5日目の飯を用意してくれた夕方。

飯を食ってもまだ明るい夕暮れ時。今朝も釣りに出かけたけど、
物足りなくて夕方からまた田んぼのあぜ道を通り、
必要以上に誰とも合わないあぜ道を選んで外を歩く。

ただでさえ人は外にはいない田舎なれど、世田谷からやってきた
ことに、近所の目を気にしつつも出かける。

実家の目の前に見える烏泊山(からすどまりやま)と言う低い山は
自分にとっては思い入れのある山でそこに向かって歩くことにした。

小学校の頃は、この山の向こうまで、汽車を使って通っていた。
汽車である。ディーゼルエンジンを積んだ汽車。
直線距離なら4キロほどだろうか?だけどこの烏泊山の存在のおかげで、
回り道をしないと通えない環境。
近くには七つ森小学校と言う宮沢賢治の本にも出てくる地名の集落の小学校が
あったけれど、そこは隣町(越境が当時は出来なかった)がために
通えなかったので小岩井地区の子どもたちはみんな汽車を使って通っていたのだ。

この山の向こう側には自分の通っていた篠木小学校や
盛岡の都心部がある。都心部からしてみれば、裏の集落が
小岩井な訳で、滝沢村の中でも辺鄙な土地だったと今でも思う。
汽車で通う特別感がその山のお陰で子どもながらに感じてたってわけだ。

そんな山に向かって、トレランのように走って登ってみた。

せいぜい389mのタイシタコトナイ低山なのだが、いざ山の中に突入してみると、
案の定簡単には登り切ることができなかった。
引き返す。
汗びしょびしょになって裾野に戻ってみると、一本の林道を発見。
こんな林道知らなかった。
その林道を家とは違う方向へテクテクと歩いていると、鎖でぐるぐる巻きにされた
立ち入り禁止を存分にアピールしている細い道を発見。
軽トラが往来している痕跡がある。
思わず中に侵入してみると、秘密基地みたいな小屋があった。
人の気配はない。電気ももちろん引かれてはいないが、毎日のように来ている
であろう痕跡もあった。

ご近所の老人なのか?誰かの隠れ小屋なのか?持ち主の人物を想像してみる。
羨ましく思った。

「小岩井でも山暮らしはできそうだなぁ」

なんて思いながら、暗くなって来た田んぼ道を戻って2時間ほどの散歩を終えて
家に帰ってくると、母ちゃんから

「何時だと思ってんだ!コロナ撒き散らして帰って来たんじゃねえべな!」

なんてちょっと怒り気味に突っ込まれたので、

「うるせえなあ」と呟くと、更に怒り出し収拾がつかなくなってしまった。 

はじめは「ロングドライブは危ないから来い来い」なんて言ってくれたのにさ、
ものの4日も世話すると疲れるってことなのか?
我なりに世話をかけないように気を使ったつもりだが、
ストレスが溜まっていたようだった。 

プラス、4日目にして、家に閉じこもっていることが馬鹿らしくなり
散歩の頻度を多くしてしまったことに、周りの目を気にさせてしまったようだ。

なんて今だから冷静に書けるが、その時は俺も腹が立つようなことを
ドンドンかまされて、相当アタマが沸騰していた。

親父にだけは優しく別れの挨拶をしながらも、気持ちは
ワナワナとなってしまっていて、10分後には荷物まとめて
車に乗り込んでいた。

岩泉のアパートに向かったのだ。夜の8時。
世田谷ナンバーのハイエースは夜の盛岡を走っていた。

夜道は空いているし、他県ナンバーでも目立つことなく
案外走りやすい気分ではあった。。けれど
なんとも言えない気分で2時間を乗り過ごす。

母ちゃんが怒るのもわからなくはないが、改めて、コロナのために
いろんな人がまともじゃなくなって来ているのは心が痛い、
というかむず痒い。


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