HOME> BLOG>

2016年2月


 うちの長男坊が飯の時とかに学校で起こったことなどよく話してくれるのだけど、
何を伝えたいのか?いまいち解らない時がよくある。文法ができていないというか、
起承転結?が成り立っていないからか?

やっぱり俺の息子だな〜と感じてしまう一片であり。。。

人に何を伝えたいのか?話してて良く分からなくなってしまうことがある。
40にもなって。

だから息子のそれは、他人事ではない。


そんなリンコス、自分と同じ直感派なのか?たまに面白い行動をする。今朝、メモを取ろうとしてふと掴んだ鉛筆。ん〜!いい発想だ。

IMG_9772.jpg

以前も、一枚のプリントがテーブルに置いてあって、良く見てみると、

ipadで検索した画像をプリントアウトしていた。ん〜!面白い発想。

IMG_9732.jpg

長男坊と次男坊。似ている部分もあるけれど、まったく違う性格。

これからどう成長していくのだろうか?

とりあえず、上手に話せる人になってほしい。その発想力をもっと人に上手にアピールして
いろんな人と接してほしいな〜。

人の一生に置いて会話はとても重要なツールであることなんだと、商売をしていくにしても、暮らしていくにはプレゼン能力、人とのコミュニケーション。死ぬまで必要なこと。

なんて今更ながら痛感している
そんな自分ぴったし40歳。前厄年らしい。厄年なんて気にしてないけどね!



 次男坊 テツビン君。 名前の通り、頑固者になりつつあるここ最近。

やっと五歳になった。

次男坊らしくなんかすこぶる可愛かったのが、

最近はちと頑固で泣き虫で、いうことも全く聞かないキャラで成長し、

憎たらしくもなりつつ、朝飯の時なんて

「おつゆ熱くて飲めない」

と言ったのでいつものようにフーフーと冷ましたげると、

今度は手をつけず放置し、「冷たいから飲みたくない」と言っては

腹立たしい自己チューが開花している真っ最中。

そんなテツビン君の誕生日も、ヤツが保育園からもらってきた「風邪菌」

というプレゼントを我ら夫婦ともに受け取ってしまったので、

近所のレストランでマスクを剥がしながらも、

チェイサーという名のただの水で

カンパ〜イ!ってノリの元気の無い微妙な誕生会と相成ってしまった。

おめでと〜!ってはしゃいで言いたかったのによ〜。

ワイングラスなんかでカチ〜ンと乾杯したかったのによ〜。

家に戻ってきて、お目当て通りの仮面ライダーのおもちゃを

プレゼントし、鼻たらしながらも、ガチャガチャ遊んでいるも、

使い方がわからず、兄貴がセッティングしたげると

俺のもんだとばかり小競り合いが始まる。

なかなかイメージ通りにいかないものである。


てか次男坊の俺もガキの頃はこんな感じだったのかな〜?

なんて親の心子知らず。


IMG_9669.jpg

この後、小競り合い勃発。(この写真もパッとしねえな〜なんて風邪のせいにしとこ)

子の心親知らず。

快気祝い

  うちの義母さんが年末に入院して 年始の12日にやっと退院ができた。およそ47日間の絶食、点滴の生活から復帰した。

うちの奥さんは、高齢の義父さんの身の回りのお世話もしつつ、病院へ通っていた。
一日置きで実家の津田沼まで通っていた。

そんな年末年始。お正月はもちろん津田沼で過ごしたけれど、
義母さんは大晦日と元旦の2日間、お昼から夕方までのみ外出許可(2回)が出て
、家族で新年を祝うのは8時間のみ。飲み食いもできず、お茶っこのみですごし、寂しい新年であった。。

そんな義母さんも退院から一ヶ月が経ち、快気祝いをしたいと、自ら誘ってくれ、
今日は電車で八千代まで行って、老舗らしい蕎麦屋さんで懐石料理を食いながらの快気祝いを催してくれた。
お昼から、義母さんの姉ちゃんのクニコおばちゃんと旦那さんの青木のおじさんと
一緒に昼からお酒を飲んで、話を楽しんだ。

もちろん義母さんは酒は飲めなかったけれど、快気祝いってのは何気に初めてだったし
なんか気分がよかった。

いつもは車でプイ〜っと行くから、電車は二度目で、東西線で意外と乗り換えも少なく
簡単に行けたし。。。車もいいけど電車もいいな何て思った。。

義母さんはやっぱり、岩手出身ってのがあるから、何かと仲良くさせてもらっている。
一度結婚したての時に、思いっきり怒られたことがあって凹んだけれど、今でもタメ口で
仲良く話せているし、南部鉄瓶の職人の娘というのもあり、意気が良くって、ギャグも飛ばすし、面白くって自分は義母さんと接することが好きだ。夫婦喧嘩のひどいのをやった時も義母さんに相談にのってもらってたりしてたっけな〜。。

そんな義母さんの入院でちょっとでも弱くなってしまった姿を見て、寂しくなったし、
現実も考えさせられた。
自分らにとっては、意外にも早くこういう状況を味わうとは思ってもみなかったけれど、
必ずいつかは誰しもが味わうわけだし、もっと若いうちにその辛さを体験している人も少なくないのだろう。

うちの親も今はまだピンピンしているが、いつどうなるかわからんし、自分だってそうだ。
元気なうちに稼いでおかなければ家族が大変になる。いつ死ぬかもわからないから、

生命保険は入っている。

そんなことをやっと現実的に考えさせられた年始であった。

今のうちに義母さんたちともっと接していっぱい吸収しときたい。それはとても重要なことだと思った。戦前を知っている数少ない身近な存在だからだ。



IMG_9561.jpg

昼間の東西線のグリーンのシートが誰もいないっつうのもあってか素敵にみえた。
快速は非常に良く揺れ、読書を妨げたけど、快晴だったし心地よかった。
大きな川を越えての千葉へ向かう風景は気持ちよかった。




IMG_9546.jpg
さわ田茶屋という歴史あるお店らしく、
なんとかの宮殿下の別邸を譲り受け移築した建物なんだとか?
庭には池があって錦鯉なんかもいて風流であった。庭師をしている青木のおじちゃんは
感心して庭を眺めておった。


IMG_9554.jpg

最近では当たり前に、思わずピースをしてしまうが、行きしなに読んでいた
みうらじゅんの万博世代はピースではこっぱずかしくってイヤミの「シェ〜」ポーズがお決まりだったとか。。俺もこれからオリジナルのポーズで決め込みたいと切に思った。


IMG_9547.jpg
立派な漆塗りのお椀が出てきて.....。こっそり持ち帰りたくもなった。イケてる!


IMG_9555.jpg

室内には様々な「書」が飾られていて、トイレの額にはこんなメッセージが。。。
考えさせられながらも、小便を便器に向けて発射していた。
俺様は聞かず、喋り捲って、何言ってるのか抽象的で、思いは強く聞こえるが伝わらない。
行動に出ようと思う。

IMG_9557.jpg
北国の血筋である。千葉になんか住んでいないで、みんなで岩手に帰って暮らしたい。
何て思ったりもして。。。

  • 1

月別 アーカイブ