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2017年3月


 うちはマンションの一階にあって庭付きである。
マンションを探してた時の条件は「庭付き」だということ。
奥さんは上の階に住みたかったらしいけれど。。。

うちの経済力では都内に一戸建てを買えたとしても庭は確実に手に入れられないほどの土地しか買えないわけで。。

どうしても庭が欲しかった。だから都内では庭が充実しているのはマンションだってことだ。

うちの庭には二羽のニワトリなんていやしないけれど、季節に応じて何種類かの野鳥がやってくる。
雀、キジバト、ヒヨドリ、シジュウカラ、メジロ。わかる範囲でもこのくらい。

庭に鳥の鳴き声が響くのはなんとも心地よいもんで。。。。

そんな自分は、ホームセンターやペットショップに立ち寄った時、小鳥の餌を買うようにしている。
庭に餌を置いておくと、野鳥がやってきては啄ばんでくれる。大半が雀ばかりだけどね。

チュンチュンと庭が騒がしくなるのが微笑ましく、我が庭にお客さんが訪ねて来てくれることはヒジョーに嬉しいわけで静かに出迎えては眺めている。

こんなことをほざいていると、なんとも「俺は爺様になっちまったのか?」
なんて思わなくもないのだけれど、歳を取るってことは、そういった身近で些細なことにも
気がまわるってことで、良しとしておこー。
小さな幸せで結構けっこーコケッコー。
ニワトリを庭で買ったら近所にはヒンシュクもんだろうな〜。
大草原の小さな家」のインガルス家みたいに自由にニワトリを飼って暮らしたいものだ全く。そんでもって、オルソンさんとこのジェネラルストアに毎朝卵を売りに行く。
なんて素敵な生活だろうか?

ある日の朝、庭に置いてあるエサ皿の上に鳥の餌を撒いてから朝飯を食っていると、奥さんがふと呟いた。
「うちのおばあちゃんは毎朝、ごはん茶碗に残った飯粒にお湯を入れて庭に撒いてたっけ」

へえ〜。それいいな。なんて思って早速真似してみた。

俺のばあちゃんがよく言っていたことは「お百姓さんが大事に育ててきたごはんなんだから、一粒一粒残さずに大事にお食べ!」なんてよく言われていた記憶があるけれど。。。。
奥さんのおばあちゃんの行為はなんかほっこりさせられるっつうか.......。

人間様が残した米粒を小さな鳥たちにも分ける日常の行為ってのに生物の平等さっつったらちょっと言い方間違っているのかもしれないけれど、なんつーか"家の庭の暮らしに野生生物との共存がある"ってのはとても良い印象を受けたってことを言いたいわけである。

その奥さんが思い出したおばあちゃんの行為は、"昔ならではの所作"なのかな?
食器を洗うって意味合いと、雀の餌にもなるって一石二鳥な部分がなんとも素敵だ。

戦前を知っている俺のおばあちゃんが言ってたこともよく解るののだけれど、ごはん茶碗に付いた飯粒をつまみあげて食うのはとても大変な訳で、アレは正直面倒だった。

俺も子供に対して、ばあちゃんのように、最後まで飯粒を平げな!だとか、
保育園で習った言葉、「お皿ぴっかり〜!」何て教育も人間様の作法としては良きマナーなのかもしれないけれど、俺には奥さんのばあちゃんの所作の方がなんともしっくりくるわけだ。

これはお庭がないと出来ない行為なんだろうけれど、ふとこの話を思い出すたんびに、お湯を入れて庭に撒くようにしている。


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模様替え


我が家はマンションである。俺の年齢の3つ年下のおっさんマンション。

奥様が会社にお勤めしているうちにならばローンが組めるぞと思い、お互いが頑張って貯めた貯金を使って購入した。

引っ越す前に、リノベーション?というやつをやって素敵な部屋にしようと思ったのだけど、予算をケチったってのもあり、納得のいくリフォームが出来ずに引っ越しちまった。

納得のいっていないリフォームというのは実に住みにくい。
5年も住んでみてホントそれが痛いほどに解った。悲しい。住み難い家ってのはホントテンションが上がらない。住んでいて全然気持ちが良くないのだ。
家の住み心地は家族んとっても健康にとってもとても大切なんだなあと改めて思い知らされた。

適当にリフォームをするくらいならば、一度何もしないそのままの状態で住んでみてから、
イメージを膨らませて、いざってタイミングでリノベーションをした方が良かったのかもしれない。焦ったのは失敗だったなあなんてホント後悔している。


余計にお金がかかってしまうのだろうけれど、もう一度住みやすくするためのリフォームの近いうちに再チャレンジをしたい。

ってお金に余裕がないからってのもあって、先日、奥さんととりあえず模様替えをしてみることになった。

なんでか?次男坊が4月から小学生になり、子供部屋をちゃんと設けた方がいいのではないか?と奥さんがずっと思い込んでいて、確かにそうだなあと。やっと重い腰を上げたのだ。

全く子供達のことを考えていなかった間取りの岡部家には、もちろん子供部屋なんて存在しない。広ーいリビングの1LDKなのである。今思えば、これがまた大失敗。部屋は重要。

長男坊になんとなくな勉強机を設けていたのだけど、ベッドルームに併設してあって、1階の北側ってこともあり薄暗く、奴は全く活用していなかった。
ダイニングで宿題をやりつづけて5年。。奴の勉強部屋は部屋感が皆無、本人も其の場所に居たがらなかった。

で、

自分が今まで占拠していた机を兄弟に引き渡すための模様替えをすることとなったのだ。

奥さんとあーだこうだ言いながら、荷物を移動する。移動するも置く棚がない。
本棚もない。改めて使いづらい家だなと確信する。

其のために適当な家具を買うってのもなんか嫌だ。せっかくの持ち家なのに。
結局大した模様替えには至らなかったものの、子供達の勉強机はどうにか確保できた。
長男坊が帰ってきて。次男坊も保育園から帰ってきたら、二人とも大喜びでびっくりした。

ちゃんと自分専用の椅子に座って宿題や本を読んだりしてる。いつもはソファーか?ダイニングテーブルかテレビの前でゴロついてしかいなかったのに。
家の中でも自分の"居場所""専有部"があるってとても大事なんだなって。今更勉強机を設けただけで良く解った。

頑張ってお金を貯めて、もっと過ごしやすいような家に変えて見せるぜ!

住み心地のいい家は家族に取っても自分にとってもとても大切なんだ。
と、5年かかってようやっと知ることができた。

頭にはどういう部屋にしたいのかなんとなく浮かんでいるから、あとはお金だけだね。

それが一番大変なんだけど、どうにかなるっしょ!


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上出大輔が加わって、本格的な企画会議が始まった。
自分としては、大きな役目を果たせた気になってすでに満足していた。

上出は、立ち上げたばかりのTEATORAの合間を縫ってアルクフェニックスの企画会議に参加していた。

上出のストイックなものつくりの姿勢には、フェニックス陣も自分もびっくりした。
アルクフェニックスのマークをデザインしたのは上出である。

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「歩」という漢字を家紋のようにデザインした。
丸の中に「歩」という漢字がデザインされていて、よく見ると路地のように見える。
道を表している。
マークにメッセージがこもっているわけだ。
さらに、8つの漢字で機能性を表現。徹底的に日本語を使ってコンセプトを表現している。
ストイック上出のこのアイデアには驚いた。

日本のブランドなんだから、日本語でいきたいという自分らの考え方のさらに上を考えていてデザインに落とし込んだわけである。

上出はさらに、テキスタイル担当の池上部長と革新的な素材開発に挑んで、オタクすぎる服作りを進行していく。

もうこの後は、自分はプロダクト会議に出る幕はなくなってしまった苦笑。

自分の役割は「アルクフェニックス」と言うブランドを世の中にひろめていくためのビジュアルをイメージ化していくこと。

でも、ブランド立ち上げから関わってきたわけだから、ディレクションすることに関してはしっかりビジョンは見えていた。

仕事仲間であり、自分の良き理解者、カメラマン杉崎勝己を起用し、ルックのスタイリング撮影とムービーの制作をした。

「歩くための機能服」として、アルクフェニックスの世界観と、どういったウエアなのか?をわかりやすくわかってもらうためのビジュアルイメージ。

ファッションウエアだけではなく、スポーツウエアだけでもない。

でも用途はしっかりとあるウエア。都会にも馴染むし、山も歩ける機能性。

歩くためのウエア。

コンセプトやイメージはしっかりと想いがあるので、下手な言葉で一生懸命に伝えて、ストーリーアイデアを説明して、後はカメラマン杉崎にムービーの撮影ディレクションは託した。

モデルにはザ・日本人!的なイメージの、山本一賢(かずたか)くんにお願いした。

駒沢のバスケ専門のセレクトショップRYZMオーナー広田に紹介してもらった、元ストリートバスケットボールプレイヤー。

彼とは、以前ブルータスのファッションスタイリング撮影で、そのままバスケットボールプレイヤーとして、モデルになってもらい、知り合って、キャラクター性を気に入ってアルクのイメージモデルになってもらうことをお願いした。

彼は、プロのモデルでもないのに、とても真面目に楽しんで役になりきってくれた。

新宿という(大都会)から、歩いて歩いて歩いて、多摩川という(自然)ゴールに歩いていくというストーリー。


都会的機能服とアウトドアウエアのイメージを表現したかったってわけだ。


我ながら思い入れのある作品となった。口出ししかしていないけれどw。

作ったのは山本シットとチーム杉崎だから。

自分を合わせてたった4人で、この作品を作ることができた。

この後は、さらに様々な作品を作った。

本当はすべて山本シットで行きたかったけれど、予算的な問題もあったり、撮影1週間前から山本シットと連絡が取れずに急遽代理で、佐野君というモデルを広田に探してもらってお願いしたムービー撮影もあった。佐野君には本当に感謝している。

山本シットは結構な病気で入院していたらしい。





これも気に入っている作品の一つ。


季節や時間帯に合わせて、気温も歩いた距離によって体温も変わる。
それをスタイリングで表現したかった。

杉崎はスタジオで雨を表現するために雨システムを考えてきてくれた。

自分のアイデアをそのまま映像化してもらえたからとても嬉しかった作品の一つ。


誰かに伝えたくって、知ってもらいたくって、理解してもらいたくって、という想いが籠っている。


これは、大都会東京の隅田川をまたぐ橋を歩いて味わう というストーリー。

撮影のクライマックス、警察5人に囲まれ、なんでか?と問うと「ドローンを飛ばしてる人がいる」と通報があったからと言われ、ドローンなんて飛ばしてないし!機材が特殊なものだったから勘違いされたみたいで。。
そんなこともあり、最後は、綺麗な夜景の橋がズームアップされるカットで終わらせたかったのに撮る暇がなかったなんとも惜しい作品となってしまった。


アルクフェニックスのスタイリングに関してのこだわりは、

1、必ずハイテクランニングシューズを履かせる。

2、ウルトラライトなバックパックやサコッシュなどのアウトドアアイテムをミックスする。

という二つをこだわった。

ブランドのイメージ的には重要なポイントなのだ。

できれば、週末などにトレランや、U.L.ハイカーとして山を嗜んでいるビジネスマンや学生の普段着として来てもらえるようなブランドになってもらいたいなという思いもあったり。。


最近はムービーが当たり前のような時代になった。どんどん映像で表現する時代が当たり前になっていくんだろうな。


ムービーでもスチール(写真)でも

やはり自分の表現の仕方は、スタイリングで表現するってことが一番向いていると思うし、一番好きな仕事なんだなあと思った。


 
 フェニックスという日本のスポーツウエアブランドから、新たなプロダクトを作りたいと、運良くブランドの立ち上げから関らせていただくことが出来たのがアルクフェニックスなのである。

株式会社フェニックスとはカタログ制作などで、かれこれ10年近いお付き合いで、親しい関係にあるってのもデカいけれど、まさか、企業の新ブランド立ち上げに関わることが出来たのは願ってもないことだった。

そんなアルクフェニックスはどうやって出来上がって、現在に至るか?!

2012年のことだった。。。
フェニックスの本部長、内海さんからのお声掛けで、フェニックスの重鎮たちに混ぜてもらい、新ブランドの企画会議が始まった。
自分は、スタイリストという立場で、新ブランドの方向性に関して客観的な意見を出す役割。
スタイリストという職業は、他の様々なファッションウエア、スポーツメーカー、アウトドアウエアメーカーを見続けてきた上で、どういった立ち位置のブランドであるべきか?隙間を見つけることは得意な分野なわけで。。

メンバーに加わって、一緒に企画会議をしていく段階がとても楽しく面白かった。
ゼロから様々な意見を出しあって、スポーツメーカーらしいコンセプトを考えて決めていく作業は、とても有意義であった。

自分なりに、今までにないコンセプトのブランドを立ち上げたい!ブレないコンセプトが重要で、それが、フェニックスらしくなくてはならない!と思って自分なりに意見した。

重要なことは。。。
1、都会に馴染む機能服であること。
2、スポーツウエアメーカーが作るプロダクトとして明確であること。
3、目的を持った服であること。

この3つを満たした上で、「じゃあどんなブランドにするのか?」
ってなって、本部長の内海さんがふと口にした言葉が「フットパス」だった。

え?なんすかそれ?的な自分に対して、簡単に説明してくれた。

英国発祥の『森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【Foot】ができる小径(こみち)【Path】』のこと。

歩くための機能服ってのいいね!スポーツ的でもあるし。
じゃあ、ウォーキングウエアにしよう!ということに相成った。

目的は決まった。
じゃあブランド名をどうしようか?
ファッションブランドとしては、今までなら確実に英語でなければおかしかったブランド名。
ここ最近では既に当たり前のようにファッションの世界でも使われ始めている、
日本語を英語のように扱うネーミングが増えてきているが。。。
下手に英語を使うのも不自然かなと思って、解りやすく「歩く」で
いいんじゃないすか?って言ったのは確か俺だったと思うw。
自分の考え方はなんでもかんでも、「解りやすさ」が肝心だとずっと思っていたから。。

後に、フェニックスがついて「アルクフェニックス」となった理由は、
単純に「アルク」では商標が取れなかったから。ただそれだけなのである。

となると、
"アークテリクス"に響きが似てるけど大丈夫かね?なんて声も上がって若干心配したりしたけれど、アークテリクスが「アーク」という愛称で呼ばれているのと一緒で、
アルクフェニックスも、「アルク」って愛称で呼ばれるようになってくるといいなとは思った。

じゃあどうやって服を作っていくか?

誰か外部の人間でいい人はいないか?
そんなタイミングで、俺の頭の中に浮かんだのが、現TEATORAの上出大輔。
運命的なタイミングで、彼はTROVEというブランドから独立したってのもあったんだけど、彼なりに、当時ファッションブランドとはどうあるべきか?っていうファッション哲学に変革が起きていたらしく、彼のTROVE最後の展示会の時に外で喋ってたら、上出はいきなり想いが止まらなくなったのか?ブワァ〜って話しかけてきた。
「これからの時代はもっと機能性のある服であるべきだと思うんです。例えば不快な満員電車でも快適さを保つための機能を持った服とか、そういうのを作って行きたい!」なんて熱弁してくれて、意気投合した。そして彼はTEATORAを立ち上げた。
自分もずっと思っていた"機能性のある服"って考えが合致したからとても嬉しくなって短時間で熱く語った。

だから迷わず、上出を推薦したってわけだ。
上出をフェニックスに紹介したタイミングは、フェニックスの上層部の変革時期で、社長が新たに変わり、新ブランドの立ち上げは実はなかなか前進することができなかったのだ。

今思っても、あの時間は本当に勿体ない。。

その後、社長がまた中国人に変わり、やっと新ブランド企画、アルクフェニックスのデザイン企画を進行することができ、上出大輔が仲間に加わったのであった。

続く。


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