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林業ってなに?


林業に興味を持ったきっかけけけけけけ。。。

ま、ひねくれ者の俺的には、「林業従事者が今すごく不足している」

なんて情報を得たからってだけといえばだけなんだけれども。。

あまり人気のない職業に転職したいって気持ちもあるにはあった。

真面目にいえば、趣味となった渓流釣りに行きまくり、関東近県の渓流エリア

に行くと、山が荒れてて(放置人工林)川にも影響があることを間近に

見たからってこともでかい。


一昨年あたりから、庭師のお手伝いをやるようになったんだけど、

外の現場で働くのはとてもいいなあ!と思いつつも、庭師の剪定や庭造りの

技術も素晴らしいなあ!なんて思いつつも、

都会的なその庭師仕事に対して、思いっきり魅力を感じることはできなかった。

ならば、マジで自然、つーか、山自体を職場にできる仕事。

林業しかねえじゃん!となった。


しかーし、林業。日本国内では、一番死ぬ確率の高い危ない職業の割に、

お給料も安く、人気のない仕事。。と思われていたみたいずっと。

でも今の若者は。日本の野山の資源を活かした仕事に興味があるのか?

環境問題からそういう目線に行っているのか?林業家を目指す若者が

増えつつあるのだそうだ。

とてもいいと思った。今の若者の考え方、思いを聞いてみたい。

俺にも通じる部分があるのだろうか?

林業。自分の国の、その市町村の、町の、集落の、そこにある資源を大切にしながら

活用して、静かに暮らして行きたい。何つってるけど、マジな話。

コロナで、身動き取れなくなってしまっているのは人間だけ。

そんな不自然な状況も踏まえ、これから、地元で経済が小さく回って行くことができるよう

な環境がとても大切かと思う。

そのためにも、地元の資源を生かした稼業がこれからは良いような気がした。

なんつってててTTTTT

どちらにしても一人ではできないこと。。

林業


地域おこし協力隊として、林業を学んでいる真っ最中。

いろんな資格が必要で、眠たい座学も受けて、ビミョーな実技も受けて、

国の定めた資格を取得しなければ、危険で危ないお仕事をやってはいけないらしーから、

それに右習えしなければいけないのだが、実際に現場で林業をお手伝いしてみると、

その資格を取得すること自体が億劫だなあと思えてしまうのだ......。

たまにはお勉強も必要!とばかりに、今必死で研修というやつのスケジュールに

しがみついて、受講をしようと計画を練っているのだ。。。。

が、コロナのためなのか?その研修が今 非ジョーに人気らしく、

中々応募しても"人気ミュージシャンのライブばり"にチケットが入手できないのだ。

で、修了証(資格)がもらえない。

しかし、林業のお仕事を振ってくれるお方と知り合えたおかげで、

もう現場で働いて木を伐ったり、刈り払い機で下草刈りをしたり。。。

すでにできている。その方の寛大な応対のおかげなのだけど。。。
(多分本来は資格がないといけないんだと思う)

で、マジで思ったことは、現場で体感するのが一番身体が覚えて勉強になるということだ。
(当たり前か?!)

はじめにチェンソー講習を頭ごなしに受けたって、全然よくわかんないし、

もちろん技術は伴わないし危ない。でもその資格(修了証)さえお金払って時間を費やせて

もらえればばばば、、、

誰だって、チェンソーを操れる「資格者」と成れるわけで。。

そこに必要な実践(危なくない安全な)技術は別に伴わないってことをいくつかの

研修を受けて、すげえ感じた。

とりあえず取得しとこ!ってヒトばかりで、本気で取得したい人が受けられないのだ。


あれ?話逸れちゃったなー。

要は、資格ってなに?ってこと。それ持ってる必要あんのか?ってことだ!

国が定めることによって、その資格を持っているやつは仕事ができるっつーだけで、

他に何の取り柄があんだよ?って思ってしまっても仕方ない。

会社が社員を雇うためにはその資格が必要。保険とか、何か事故があった時のための

ハンコ的な役割しか果たさないような気もするが。。

そもそもハンコって何だよ?そんなに偉いのかお前?

さらに話が逸れたわわわわわわ。

俺なりに、危険な目にも遭いながら、実践できているおかげで、

下手なりにチェンソーで伐倒もできる様には慣れたし、

刈り払い機も操れる様に慣れた。

これで、バックホー(ユンボまたはショベルカー)の操作が出来るようになれば、

立派な林業家に成れる!

なんて思ったら、木を伐り、運び、木材や何かの資源に活用できるように成るためには

まだまだ他にもっとたくさん必要な資格があるらしいことを今日知った。ガーン。

なんて大変なんだ!資格も取得するのに金がかかるし。

取得しても、その機械やらを所有していない限り、技術は進歩しないしさ。

やはり、会社に入るべきか?

いやだ。とは思わないけれど、会社で技術を習得するのにも、結構時間が

かかってしまいそうだ。

そんな時に知った(さらに知った)自伐型というスタイル

に改めて理想形があると信じ始めている。

なぜ林業に興味を持ったかというと。。。。

眠くなってきたので、寝ることにする。

自然ってなに?


自然ってなんなのか?

いろんなところで、遊んで来て、暮らして来て、みて見て視て来て

自分なりにはよくわかったつもりだ。

その自然ってなにか?をよく理解していない限り、

これから時代、生き抜いていくことはできないんじゃないか?

と思ってしまうのは俺だけだろうか?

自然 ってなに?

うちの子供もわかってるんだろうか?

どうやったら上手いこと理解してもらえるんだろうか?

IMG_2786.jpg

都会だって地方だって、とっくに気がついていたことなんだけれど、

実際、足を踏みこんでみて、高齢化の問題がよりわかってきた。

製材所で働いてみて、今の働き手(60オーバー)がいなくなりそうな
いろんな工場などがいっぱいありそうだってこと。

高齢化ってのも繋がって、何も知らない林業の道を歩んでみたいと思うようになったのだけど。。。その川下にある、製材所もしかり、
だってことはお手伝いしたことでわかった。


先日も、住み始めた町のとある製材所のお手伝いに行ってきたんだけれど。。

そこの働き手ももう55以上のおじさんやおじいさんで。。。

工場長的立場のおじいさんは、膝にサポーターをつけていて
ぎこちなく歩いて作業してた。先月は元気だったのに。
仕事中に痛めてしまったみたいで。。昨日行ったら、
まともに歩くことができないでいた。まじかー.....。

でもその大先輩が機械回してくれないと、製材の仕事も回らないってことは
お手伝いレベルでもわかったことで。。。

この人の技術が継承されないと、この工場はどうなってしまうんだろうか?
なんて考えながら、木材を加工していた。

他の従業員って言っても、大きな工場なれど、50オーバー。
下手したら60歳を過ぎているかも?みんな。

男性二人、女性一人、その人たちとはあまり関わらない、40オーバーのおじさんが、
別の仕事をしていて、あまり仲は良さそうではなかった。

社長も現場で働いてはいるが、工場長との確執?というか、仲が良く
みんなで働いているという、活気は感じられない。

俺に何かできるだろうか?

なんて思ってみたけれど、ただ渡された仕事をこなすことしかできない自分。
だから、手伝い程度に参加させてもらっている俺に何ができるかって?

ここで働くことを決め、担い手になる他ないのかなとも考え込んでしまった。

実際それが確かなのだとは思うが、俺は林業を学ぶために来たって
決めているからそんな簡単に口が出せる立場でもない。


しかし、日本の技術ある高齢労働者が、あといくつになるまで働けるのか?
その担い手が激減している、またはいなくって、
その技術を継承されないまま廃業。なんてことがどんどんいろんなところで
加速してしまい、日本の自給率はさらに下がっちまうんじゃないか?
なんて思わされてしまった。

東京で、コロナのために家でゴロゴロ自粛していた2ヶ月半。
動画ばかりみて、子供らはどうぶつの森ばかりやって。。。。
コロナ関係なくても、適当に仕事して、適当に稼いで、適当に遊んで、
なんかしっくり来ていない時間があまりにも長かった。
そんなくすぶっているなあって感じながらも
さらに都会生活を続けていたならば、俺はもっと腐っていただろうと思う。
あくまでも俺の性格上。。。。


そんな自粛生活をし続けているならば、こういう人たちを
少しでも早くお手伝いできていれば
よかったのになぁ、なんて思ってみたりもした。
今やっとここに来れたから思えること。

来たばっかりの俺が言える立場ではないが、
遠慮なく放っちまうならば、

ただでさえ余っている仕事、必要なの?と思えるインドアな仕事をこなしている
都会(決して東京ばかりではなく)に住んでいる人たちこそ、
今なら地域おこし協力隊なんてプロジェクトもあるわけだから、

各都道府県や市町村、過疎地に引っ越して、地産地消ができる仕事に就いて
技術ある高齢者の担い手になるべきかと思う。

都会の便利な仕事で小金稼ぐよりも、そんな大先輩が築いていた仕事(あくまで地産地消に結びつく仕事のみ)はいっぱいあるわけで。

でも、もう既にかもしれないし、これからさらにだと思うんだけど、

そういう必要で重要な仕事を担っていかないといけない時が来ちゃったんだと思う。

コロナがきっかけを作ってくれたのかとも思う。

まじ都会(東京ばかりではない。地方都市含めて)でくすぶって生きてるならば、
今からでも、地域おこし協力隊なんてもの使えば、
結構簡単に移住もできちゃう今な訳だから、

過疎化された地方の、地産地消していくためには重要な仕事にシフトチェンジして、
高齢者からバトンタッチッせてもらって、
日本国内の自給を増やしていけることは、将来の自分ら、子供らのためにも
とっても重要な新たな日本の生き方なんじゃねえのかなと。

どうぶつの森の世界をリアルにやるべき時が来たってことだとも思ったり。。。
それもコロナが教えてくれたって思ったり。。

うちの子供も、もう進学したくなければいなくていいから、どこかの田舎で
身体使って働く方が生き延びれるかとも思う。
通過、まじでこれから、いかに体使って働くか?ってことが大切かと。

小さな製材所でお手伝いをしながらも、思ってしまった。


硬いな。。


先日、バックホー(ショベルカー)研修に参加した時のこと。
生徒は6人。その中でも自分よりもおじさんが一人だけ混じっていた。
その方と、接しているうちに素性が分かった。

農業高校で、林業を教えていた学校の先生。
卒業した林業に携わる元生徒から、色々突っ込まれたり、
「小馬鹿にされたんだ」って笑いながら言っていて、

退職後に、自ら山を購入し、林業に挑戦して、キノコを育てたり、森を有効活用するために、作業道作りの研修に生徒に戻って参加してきた人生の先輩であった。

要は、勉学ばかりを教えてきたけれど、現場をよく知らなかったってことで、
生徒たちから、笑われて、それが気になっていて、じゃあやってみるぞ!と。
退職後に。
自ら動いて、"実践"して"体感"している今現在。

その話を聞いて、少し胸が熱くなった。

60歳を迎えたおじさん先生が、今行動しているわけだ。

これからは、どんな年齢であっても、尚更、行動&実践&体感している人だけが
面白い人間になっていくんだと思う。


自分が体感したことは自信を持って人にも伝えられるはず。


つーか体感 がまじでこれから重要!

尚更ネット社会なわけだから、ネットで調べてわかりきっているっていう頭でっかちが一番ダサいと思う。

佇まいとは?


「佇まい」 なんて自分でもよく文章を書くときに使ってしまう。

最近では『日本ボロ宿紀行』なんてブログ本がドラマになっちゃうくらいの勢いで、

その「佇まい」ってのは、風景の雰囲気であって、特に、建物の風情に使われる言葉?

なのかな?

昭和っぽい建物
とか、
木材の朽ちた感じ
とか
道端に生えている花が適当な配置で地面から生えている様
とか?

そんなのを視て、あ〜と感じ入ったときに言いたくなる言葉。

今日は宮古にある古い銭湯の天井を見ていて、その朽ちた感じに

いい佇まいだな〜とボケ〜っと眺めていた。

ふと、ブログに載せた養老孟司のユーチューブを思い出す。

養老さんが言っていた、自然についての定義に繋がっている気がした。

決して、綺麗ではないその天井のカビだとか、汚れ?を見ていて、

いいなあと思った理由は、自然だからだ。

時が経って、本来なら清潔感ある綺麗に磨かれた天井にしたいであろう

店主の気持ちも察するが、その、なかなか改修出来なくって、
放っておいてしまっている様に良さと趣を感じた訳だ。
時の流れも感じる、いい具合の汚れが逆に

「自然」を感じさせてくれた。

要は、「自然」とは「中立にあるもの」と言っている養老孟司の言葉の通り、

人が作った不自然なもの(人工物)と自然の間と言ったら良いのか?

その人工物の自然の有り様が、この天井の汚れなのだ。

「佇まい」とは、自然の成り立ちあってこその、かっこよさというか。なんちゅうか?

佇まい="自然のスタイリング"とでも言おうか?

(カッコつけた言葉はカッコ悪いな。。。。)

言ってることがほぼ全て共感しかない。


自然=中立 

ってことはとても勉強になった。

「都会」がダメで「田舎」がいい訳でもはなくて、自然が求められている。今。

なおさら。今。

確実におかしくなっている現実。コロナだって自然。

それに対してアタマでっかちになり過ぎちゃってる世の中の人人。

自然に相手にしてもらえば、わかることがたくさんある。

こんな状況でもどう暮らせば良いのか?

田舎の山奥で自然と共存して暮らしてきた、ばあちゃんもじいちゃんも

テレビのおかげで影響うけちゃっているのを

見ちゃうとなんとも言えない気持ちになる。

もっと自分で感じて行動しようと思う。

まさにブルースリーの言葉がぴったり。

Don't think, feel



「不便利」という言葉があるみたい。

テレビで見た。しかも最近だ。まだ東京にいる頃だった。

今の家にはテレビがないし、ネット環境はまともだけど、
ネットニュースすら気にならないほどに見ていないので、
リモート打ち合わせの合間とかで「東京はまた感染者が増えましたよ」
なんて溢れ話で聞いていて「へええ」としか言えないくらい山の生活に
マスクは不必要だ。
いきなり話が脱線している。マスクのことでなくて不便のこと。

テレビがなくってもネット環境さえ繋がっていればもう既にどこだって
便利な世の中。

すでに誰もが気がついていた話なのだろうけれど、インターネットさえ
繋がる環境でいれば、都会っ子だってもやしっ子だって、女子だって、
どこででも住めちゃう時代。
虫とか獣がイヤでなければ。。。
なんてそんな虫にも慣れる日がきっとやって来るかとも思うし。

岩泉での山暮らしをはじめた時はまだ2週間待機中だったので、
なおさら感じたことは不便って良いなって思えたことである。

来る前にみたテレビ番組はその不便を「不便利」って
言葉で京都大学の教授様が掲げて特集していた番組だった。

確かに言ってる内容は面白かった。

とにかく自宅待機で、外には出られても、近所の人とも接することはできないし、
スーパーに買い物に行くこともできない。
なおさら、車がないと買い物なんてできる場所ではない山の中。

移住担当の人にお願いをして、頼んだ食材を買ってきてもらい、
その中から食事を作らないとまともなご飯が食べれない。

山暮らしスタートが待機生活だったってのは逆に良かったと思っている。

その家から一歩も出られない山の中でも自粛生活ってのがいかに不便か?
ってことを思い知らせてくれたのである。

待機中は質素な食生活。
それ以外は、あてがってもらえた古いアパートを徹底的に掃除してみたり、
暮らしやすいように改修してみたりそんな生活で過ごしていた。
初めの1週間はネット環境も整っていなかったので、
携帯電話で友達と会話したりはできていた。

とにかく、買ってきてもらった食材で何か作らないとお腹を満たせない。
下手くそながらにも料理を作る。節約をしながら。。

で、待機生活もあと二日、なんて時にふと、唐揚げが無性に食いたくなってしまったのだ。
しかし、コンビニなんて行けないし、その前に近所にはない。
(町内で2件のみ)
世田谷暮らしの頃のように徒歩圏内ではお店がない。
(あとで近くに小さなスーパーが一軒だけあることがわかる。6時閉店だけど)

どうしても唐揚げが食いたくなってしまい、担当の人に唐揚げ粉と鶏肉と油を
買ってきてもらって、自分で揚げて食ってみた。

たいして美味くはないが、揚げ物っていう食い物の価値に感動すらした。

昔の暮らしってこんな感動することがいっぱいあったんだろうな〜、
なんてふと思い耽りながらも「不便」は人間の暮らしにとって大切だっ
てことを復習させてくれた。

唐揚げがきっかけとなったのだ。

これがまさに教授の言っていた「不便利」ってことなんだと思った。

不便最高。でも、マスクがなくても堂々と暮らせる、ただでさえ人が少ない
山暮らしだけど、

今は、都会の方が不便な生活なんじゃないのか?
なんて思えてしまっていたりもする。。

感染症は目に見えなくておっかないけれど、その目に見えないものに怯えながら
人との干渉も気をつけながら、コミュニケーションを取って行く。。
その方がよっぽど不便なのではないか?

それはこの山にももちろん影響は大きくて。
誰もいない畑を炎天下、おばあちゃんがちっこくしゃがみこんで
草抜きをしていたりして。
マスクをつけた格好で。。。。

メディアや噂の影響はでかいかもしれない。でも

自分で判断して、必要なのか?不必要なのか?考えて暮らしていかないと、

色々参っちゃうかと思う。

俺はマスクを外して、除菌もしないで山の中 堂々と暮らしている。
必要ないと思う環境だから。

先日、役場の会議に参加して久しぶりにマスクをしたけれど、息苦しすぎてきつかった。

改めて、

ぶっ倒れないでねおばあちゃん。と思った。

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