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2020年6月


「不便利」という言葉があるみたい。

テレビで見た。しかも最近だ。まだ東京にいる頃だった。

今の家にはテレビがないし、ネット環境はまともだけど、
ネットニュースすら気にならないほどに見ていないので、
リモート打ち合わせの合間とかで「東京はまた感染者が増えましたよ」
なんて溢れ話で聞いていて「へええ」としか言えないくらい山の生活に
マスクは不必要だ。
いきなり話が脱線している。マスクのことでなくて不便のこと。

テレビがなくってもネット環境さえ繋がっていればもう既にどこだって
便利な世の中。

すでに誰もが気がついていた話なのだろうけれど、インターネットさえ
繋がる環境でいれば、都会っ子だってもやしっ子だって、女子だって、
どこででも住めちゃう時代。
虫とか獣がイヤでなければ。。。
なんてそんな虫にも慣れる日がきっとやって来るかとも思うし。

岩泉での山暮らしをはじめた時はまだ2週間待機中だったので、
なおさら感じたことは不便って良いなって思えたことである。

来る前にみたテレビ番組はその不便を「不便利」って
言葉で京都大学の教授様が掲げて特集していた番組だった。

確かに言ってる内容は面白かった。

とにかく自宅待機で、外には出られても、近所の人とも接することはできないし、
スーパーに買い物に行くこともできない。
なおさら、車がないと買い物なんてできる場所ではない山の中。

移住担当の人にお願いをして、頼んだ食材を買ってきてもらい、
その中から食事を作らないとまともなご飯が食べれない。

山暮らしスタートが待機生活だったってのは逆に良かったと思っている。

その家から一歩も出られない山の中でも自粛生活ってのがいかに不便か?
ってことを思い知らせてくれたのである。

待機中は質素な食生活。
それ以外は、あてがってもらえた古いアパートを徹底的に掃除してみたり、
暮らしやすいように改修してみたりそんな生活で過ごしていた。
初めの1週間はネット環境も整っていなかったので、
携帯電話で友達と会話したりはできていた。

とにかく、買ってきてもらった食材で何か作らないとお腹を満たせない。
下手くそながらにも料理を作る。節約をしながら。。

で、待機生活もあと二日、なんて時にふと、唐揚げが無性に食いたくなってしまったのだ。
しかし、コンビニなんて行けないし、その前に近所にはない。
(町内で2件のみ)
世田谷暮らしの頃のように徒歩圏内ではお店がない。
(あとで近くに小さなスーパーが一軒だけあることがわかる。6時閉店だけど)

どうしても唐揚げが食いたくなってしまい、担当の人に唐揚げ粉と鶏肉と油を
買ってきてもらって、自分で揚げて食ってみた。

たいして美味くはないが、揚げ物っていう食い物の価値に感動すらした。

昔の暮らしってこんな感動することがいっぱいあったんだろうな〜、
なんてふと思い耽りながらも「不便」は人間の暮らしにとって大切だっ
てことを復習させてくれた。

唐揚げがきっかけとなったのだ。

これがまさに教授の言っていた「不便利」ってことなんだと思った。

不便最高。でも、マスクがなくても堂々と暮らせる、ただでさえ人が少ない
山暮らしだけど、

今は、都会の方が不便な生活なんじゃないのか?
なんて思えてしまっていたりもする。。

感染症は目に見えなくておっかないけれど、その目に見えないものに怯えながら
人との干渉も気をつけながら、コミュニケーションを取って行く。。
その方がよっぽど不便なのではないか?

それはこの山にももちろん影響は大きくて。
誰もいない畑を炎天下、おばあちゃんがちっこくしゃがみこんで
草抜きをしていたりして。
マスクをつけた格好で。。。。

メディアや噂の影響はでかいかもしれない。でも

自分で判断して、必要なのか?不必要なのか?考えて暮らしていかないと、

色々参っちゃうかと思う。

俺はマスクを外して、除菌もしないで山の中 堂々と暮らしている。
必要ないと思う環境だから。

先日、役場の会議に参加して久しぶりにマスクをしたけれど、息苦しすぎてきつかった。

改めて、

ぶっ倒れないでねおばあちゃん。と思った。


本来の移住先、岩泉生活が始まった。
と言っても自宅待機生活は続き、役場担当の人にお世話になりつつだ。

岩手でもより山奥の北上高地のど真ん中?真ん中よりは県北に入るのだろうか?

実家のある、小岩井なんかよりもずっと山奥で、盛岡から2時間かかる場所。
住んでみてる今、わかったことだけど、都市部に行くには県内ならば、
大体どこに行くにも約2時間はかかってっしまうようなところだ。

辛うじて、三陸海岸の中心都市、宮古市が一番近い都会で1時間かかる。

交通の弁としては中々不便な場所である。
昔は「日本のチベット」なんて言われていた場所だったらしい。

そんな岩泉町をなぜ選んだのか?
東京の世田谷とは真逆の、岩手の秘教的山奥に住みたかったってのも大きいが、
町内に広葉樹が多い山を持つってことをアピールしている町、
だったからっていうこともでかい。


ここ数年、2拠点暮らしをベースに、山梨や栃木の山間部への移住も考えていた。
移住というよりは、家は世田谷のままで、仕事場を山間部に移す気でいた。

「空き家バンク」などで調べて、何件かは物件を視て回ったけれど、
なかなか踏み込めずにいた。

「1〜2時間かけて移動し、平日は作業場、週末は東京」
みたいな生活はどんな感じなんだろう?なんて思い描いていたが、
その移動時間すら勿体無い気もしていた。交通費とかも含めると、
余計高くつくのではないか?
それなら、まんま、目黒の祐天寺に作業場を構えているので十分なのではないか?
なんて思い返してもいた。
通勤は電車で1回乗り換えるだけで20分とかからないし。。。

そんな昨年の11月に広葉樹林業をサポートするセミナー?
に参加する機会を得た。

広葉樹林業を昔からやっている、
岩手県岩泉町と岐阜県飛騨市が合同で主催したセミナーで、

「地域おこし協力隊」の制度を利用して、広葉樹林業に関わる仕事に携わり
都市部から山間部へ移住者を促すと言う内容だった。

渓流釣りをきっかけに、森林のことが気になり始め、最近の台風の被害も気になっていたし、林業は以前から何となくだけど気になっていた職業だった。

林業に関しては
「岐阜の方が京都にも近いし、歴史や文化、技術が進んでいそう。
岩泉よりもいいんじゃないのか?」

なんて一瞬迷いもしたけれど、やっぱり、特殊な岩手県人(自分)の血は
我が地元に興味が落ち着いた。

ただ単に、岩泉町の方が知ってるからってだけで、
知らない町に住むことがおっかなかったからってことだけの
理由かもしれないが。。。

噂だと、林業従事者は極端に高齢者ばかりで、担い手も極端に少なく、
職業の中でも最も危険!だと言われる
林業に関わってみたいと強く思うようになっていた。

その理由の一つに、農園芸作業着を作っていたから、ってこともある。

地域おこし協力隊に志願する理由の中に、

「林業の現場を知り、自分の運営している作業着メーカーを充実させたいから」

と言い分も決まっていたのだ。

まあ、ただ単に、バリカンズという

「頭を刈り上げた輩が、稲を刈る」なんてコンセプトを掲げておきながら、

農園芸になんて全然関わっていないチームのようなものを作ってしまった

"尻拭い"的な意味合いもなかったとは言えない。

「気に入って立ち上げてしまったバリカンズの意味合いをしっかり果たしたい!」

なんて「意地」を貫いてみたいのである。

外れた気がするが、やるなら中途半端なところでなく、
ガッツリ山奥に暮らさないと、思いは果たせないんじゃねえかな?
とも思ったのだ。

もうおっさんだから。時間がねえ。ということで。。。


あとそれから、マウンテンリサーチの小林さん2-tacsの良二くん
の影響もでかい。



母ちゃんが5日目の飯を用意してくれた夕方。

飯を食ってもまだ明るい夕暮れ時。今朝も釣りに出かけたけど、
物足りなくて夕方からまた田んぼのあぜ道を通り、
必要以上に誰とも合わないあぜ道を選んで外を歩く。

ただでさえ人は外にはいない田舎なれど、世田谷からやってきた
ことに、近所の目を気にしつつも出かける。

実家の目の前に見える烏泊山(からすどまりやま)と言う低い山は
自分にとっては思い入れのある山でそこに向かって歩くことにした。

小学校の頃は、この山の向こうまで、汽車を使って通っていた。
汽車である。ディーゼルエンジンを積んだ汽車。
直線距離なら4キロほどだろうか?だけどこの烏泊山の存在のおかげで、
回り道をしないと通えない環境。
近くには七つ森小学校と言う宮沢賢治の本にも出てくる地名の集落の小学校が
あったけれど、そこは隣町(越境が当時は出来なかった)がために
通えなかったので小岩井地区の子どもたちはみんな汽車を使って通っていたのだ。

この山の向こう側には自分の通っていた篠木小学校や
盛岡の都心部がある。都心部からしてみれば、裏の集落が
小岩井な訳で、滝沢村の中でも辺鄙な土地だったと今でも思う。
汽車で通う特別感がその山のお陰で子どもながらに感じてたってわけだ。

そんな山に向かって、トレランのように走って登ってみた。

せいぜい389mのタイシタコトナイ低山なのだが、いざ山の中に突入してみると、
案の定簡単には登り切ることができなかった。
引き返す。
汗びしょびしょになって裾野に戻ってみると、一本の林道を発見。
こんな林道知らなかった。
その林道を家とは違う方向へテクテクと歩いていると、鎖でぐるぐる巻きにされた
立ち入り禁止を存分にアピールしている細い道を発見。
軽トラが往来している痕跡がある。
思わず中に侵入してみると、秘密基地みたいな小屋があった。
人の気配はない。電気ももちろん引かれてはいないが、毎日のように来ている
であろう痕跡もあった。

ご近所の老人なのか?誰かの隠れ小屋なのか?持ち主の人物を想像してみる。
羨ましく思った。

「小岩井でも山暮らしはできそうだなぁ」

なんて思いながら、暗くなって来た田んぼ道を戻って2時間ほどの散歩を終えて
家に帰ってくると、母ちゃんから

「何時だと思ってんだ!コロナ撒き散らして帰って来たんじゃねえべな!」

なんてちょっと怒り気味に突っ込まれたので、

「うるせえなあ」と呟くと、更に怒り出し収拾がつかなくなってしまった。 

はじめは「ロングドライブは危ないから来い来い」なんて言ってくれたのにさ、
ものの4日も世話すると疲れるってことなのか?
我なりに世話をかけないように気を使ったつもりだが、
ストレスが溜まっていたようだった。 

プラス、4日目にして、家に閉じこもっていることが馬鹿らしくなり
散歩の頻度を多くしてしまったことに、周りの目を気にさせてしまったようだ。

なんて今だから冷静に書けるが、その時は俺も腹が立つようなことを
ドンドンかまされて、相当アタマが沸騰していた。

親父にだけは優しく別れの挨拶をしながらも、気持ちは
ワナワナとなってしまっていて、10分後には荷物まとめて
車に乗り込んでいた。

岩泉のアパートに向かったのだ。夜の8時。
世田谷ナンバーのハイエースは夜の盛岡を走っていた。

夜道は空いているし、他県ナンバーでも目立つことなく
案外走りやすい気分ではあった。。けれど
なんとも言えない気分で2時間を乗り過ごす。

母ちゃんが怒るのもわからなくはないが、改めて、コロナのために
いろんな人がまともじゃなくなって来ているのは心が痛い、
というかむず痒い。


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 岩手県は、良いのか悪いのか?感染者が未だに一人も出ていない。

だから、緊急事態宣言が全国的に解除となった日
(その日がいつか?よくわかっていないが)が来ても、県外移入者は
2週間の自宅待機をこなさなければならない。

東京を出発して、直接現地へ行こうと思ったものの、盛岡からさらに山道を
2時間以上走らなければならない山奥の移住先には片道8時間半かかってしまう。

長距離といえども、せいぜい4時間くらいのドライブには慣れている自分だが、
その倍の時間をノンストップとなると心配になってしまう。

道中、移住担当の人と話していると「2週間待機は県内ならばどこにいても良い」
との話を聞き、自分の実家は小岩井にあるので、寄ろうか?少し迷ってしまった。

「むしろその方がこっちもありがたい」と担当者には言われたものの、
実家には身体の弱い親父がいる。だから躊躇した。行く前までは寄るつもり
なんてなかった。もし俺が無症状の感染者だとして、
「伝染してしまったら親父は確実に死ぬ。しかも県内初の感染者が出た!
なんてシャレにならねえ」なんて弱気心もあったからだ。

母ちゃんの「(長時間運転は)危ないから家に寄ってった方がいい」
なんて甘い言葉に誘われて、結局実家に立ち寄ることにした。

恐る恐る玄関を開ける。取手も素手で触らないように気をつけて。
3日間はマスクをしたまま過ごした。
なるべく親父にも近づかないようにした。

4日経っても家族共々平気だったので、マスクを外して、人が居ないことを
確認してから、目の前の抜けのいい田んぼ地帯を散歩することにした。

人の多過ぎる東京での2ヶ月の自粛生活は、極力自宅にひっそり暮らし、

人気のいない多摩川で子供とこっそり遊ぶ、
なんてことをこなして来た自分だったけれど、
今は、実家の目の前のだだっ広い田んぼの中をひとりポツンと歩いている。
とても気持ちがいい!俺の地元は「こんなに気持ちの良い場所だったのか?!」
なんて、やけにオーバー気味に感じ入ってしまった。

ただでさえ人がいない。こんな状況だからさらに誰を見かけることもない。
なのに、
まるで泥棒のような気持ちで、
世田谷ナンバーで東京から逃げて来た、わけでもないのだけれど、
周りの目を気にしながらヒソヒソと過ごしていた4日間が、
なんとなく馬鹿みたいに思えてしまった。。。。

何やってんだろ?俺。なんて思いながら。。。

次の日の朝は子供の頃によく遊んでいた小岩井農場の敷地内を流れる
名もなき川へと散策に出かけた。釣竿を持って。

絶対に誰とも合わない秘密の場所。
子供の頃は、探検だ!なんつって、友達と川沿いを歩くって行為に
興奮して遊んでいた、その川はおっさんになって歩いてみると、
やけにちっぽけな川だなあ。。なんて拍子抜けしながらも誰にも干渉されない
この時間を思う存分楽しんだ。 

川の底にムール貝のような貝が落っこちてる。
誰かが食べた貝殻が流れて来たのか?と思ったけれど、拾い上げてみると、
生きていた。ひとり森の中でびっくりしていると、川底には無数のその
ムール貝みたいな貝がゆっくりとパクパクやっている様子が見えた。

こんなところに貝がいるなんて!ひとり興奮した。
あとで友人の鈴木新に話すと、それはイシガイの仲間じゃないのか?と教えてもらえた。

子供の頃には気がつかなかった、知らない生き物がいることを知ったことに
興奮した。

毛針をキャストするものの、緩やかな流れで静かすぎるその川の魚は、
俺の身体の動きだけで一目散に逃げていってしまう。

結局一匹も釣れなかった。

小岩井農場のどこかが水源であるその名もなき川は、"渓流"とは程遠いほどに
岩も石も無く、ゆったりと流れる"土の川"であることがわかった。

東京近郊で言うところの、忍野の川に似ている。

つづく








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