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2020年5月

山に暮らす

山暮らしは始まったばかり。

それまでは東京の世田谷というとても便利な都会に住んでいたわけで。
どちらかというと、都会生活の方が長かったわけで、
人生の半分以上は都会人だったわけで。
だから、田舎育ちっつったって、言葉も気分も都会人的になっていたことは否めない。

でも色々考え、選んだ進路は、岩手にまた住むということ。
Uターンというわけではなくって。

岩手でも実家のある地元ではない市町村に住むということ。
しかも、暮らすならば、より山奥の過疎地が良かった。
より東京という便利な生活からかけ離れた場所で、住んでいる人たちに、
山の暮らしを学びたいと願った上で探した場所。。。

『地域おこし協力隊』という国がやっているプロジェクトがあるなんて知ったのは
昨年のことだった。


それから友人の力も借りて、田舎暮らしの構想を練り、
"練る"なんてほどのこともさほどしてはいないが、視察して、面接して、

岩手での山暮らしをこの半年の間に決めちゃいました。

家族はそのまんま東京生活を送り、単身赴任的に、

というかワーキングホリデー的に、お給料をいただいて、
地方に住んでその市町村のお役に立つ活動をする、という内容は、

小心者の自分にとっては
とてもありがたいシステムだった。

おかげさまで、内定も決まり、いざ岩手へ!
ってタイミングでこの騒動。。。。

行けなくなっちまった〜!と思い込んでいたものの、

役場周りの人たちが頑張ってくれたおかげで、
晴れて、20日から岩手入りを果たす事ができたのだ。

ずっと憧れてきた山暮らし。

どうにか始まりました。これからどうなっていくのか?!ドキドキが止まらねえ。

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進むその先

ずっと迷っていた。 (スガシカオか)
東京に暮らし続けていくことは自分が本当に望んでいることなのだろうか?
もともと人見知りの我輩が、なんとなしに大都会に住み始め、
目の前に見えた道ばかりを進んでみたならば、いつのまにか今の地点までやってこれた。
会社員、専門学生、スタイリストアシスタントを経て、スタイリスト。
この時期が自分にとって華のあった暮らしの日々って感じだったのかもしれない。

でもなぜか?そこから道をずらして、アウトドアの世界に突入。
自分自身で何かカルチャー的な行為を始めてみたくなって
バリカンズなる活動も始めてみたものの。。。
そんな、"道から外れる" 行為は簡単ではない事がよく解った。

ひねくれた性格は、いつものように軽い気持ちで脱線して見ると、
思わぬ方向に進んでしまったりして。。。。

自分でも辛かったけれど、改めて、辿った地点(流れ)を見返してみると、
これはそんな間違ってもいないのかな?なんて思えてしまう。

進むべくして進んで来ているに違いない!
と思えるようになれたのは今頃、なんだと思う。

やっとである。

意識を変えられるように"馴れた"んだと思われ。。。。 

ファッションという華のある世界から、
アウトドアファッションをきっかけに、
どっぷりとアウトドアの世界に引っ張られて、
いつのまにかファッションが好きじゃなくなってしまっている自分もいた。
それは結構哀しいものでもあった。
自分が気持ちよく過ごしていた世界から引き千切られるような感覚。
でもそれは自らが望んじゃって歩んじゃって進んで来ちゃった道であって。。。

暗〜いトンネルを彷徨い続けているような感覚だったけれど、
なんとなく遠くに光が見えて来た、
そんなタイミング。

それが今だ。

我が地元岩手に住む。住み直す。

これからまた、第一歩目の暮らしが始まる。

暮らし研究


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子供の頃のような、感覚だけで『面白れえっ!』と思えるような外遊びを
試し続けてきて40も半ばになってしまった。
今までいろんな遊びを嗜んで来て

"外遊び研究所"

なんて雑誌連載まで掲げて10年やってきちゃったけれど我輩の場合、
プロにもなれちゃいそな「追求型」ではなくって、
一生素人的、広くて浅くて飽きっぽい「雑食型」でずっとやってきたわけで....。
でもそんなユルい姿勢だからこそSOTOKENも100回も続けてこれたんじゃないのか?
とも思える。
どんな「モノ」「ゴト」でもそうなのかも知れないが?
「外遊び」もヒトの性格それぞれこの2型に分かれるように思える。 

 追求するってことは、技を極める為の姿勢や継続があって、
やっとそのモノゴトを体得できるってわけで、誰にでもできることではない。
対し、我輩のような雑食型だといろんな遊びをただ広く浅く楽しむだけだから、
極めるなんてことは一生できやしない。でもそんな子供のような感覚型だからこそ、
面白く楽しめる面も充分にありえるとも思えるのだ。
その感覚こそがずっとSOTOKENで伝えたかったコトだったのかもしれないなあってのは、先日一緒に遊んだ友人カメラマン鈴木新と意気投合した話でもあって.....。


  そんな先日、そんな鈴木新とお互い初めてのテナガエビ釣りに出かけた。
とりあえずネットで調べた浅い知識で見よう見まねで試してみる。
アタリもポイントもいまいちわからないが、二人ともどーにか1匹を釣り上げることができた。魚類とは違うエビ釣り独特のアタリを味わった。それだけで盛り上がる。
次のポイントを探しに移動。
思い切って河口付近まで足を運んでみると水辺の抜け具合が広すぎて超絶気持ちが良い。
目の前には近未来的な羽田空港が淡くボヤけてはいるけど存在感がたくましい。
ど干潮の水際を歩いていると小さなボラっこが群れをなして岸際を泳いでいる。
その泳ぎに見惚れていると、突然「ボワンッ!」と水面に大きめの波紋が次々と現れる。
「これシーバス(の捕食)じゃない?!」
「やばいね」
「ルアー竿持ってくりゃよかったなぁ」
なんて話しながらもただ眺めているだけで十分に楽しい。
さらに今度は住宅エリアを散策してみると
「このエリアは殿町っていう(地名)らしいぜ?」
「なんで殿町なんだろ?」
さらに歩みを進めると、
「なんだよあれ?乳出し地蔵尊だって!ウケる!」
変な名前の神社を見つけてまた一つ笑う。
「なんとなく艶っぽいエリアだね〜」なんて笑っていると、
新が携帯で調べ始める。
新「特に理由はないみたいだけど、この付近は薬関係の実験会社が多いみたいだね。
動物実験の施設もあるっぽいよ?」
そんな会話が面白かったり....。

この時、二人で話したことは、
テナガエビ釣りって目的はあれど、エビ釣りばっかりってのじゃなくて、
その場その場で味わう土地勘も観察次第で面白いわけで....。
ぶらり旅的なテレビ番組みたいな嗜み、なんだけど。。。。
「水曜どうでしょう」なんて番組が流行った理由とおんなじなのではないかな?
あれは改めて思うところ「大人の外遊びの極み」な気がしてしまうのだ。

要は、目的(テナガエビ釣り)は明確でも結局は単なる
「遊び」
な訳で、そればかりに必死になるわけじゃなく、
もっと軽くてユル〜い感覚のまんまで、その全体の流れを"一つの遊び"として楽しむ....。
「テナガエビ釣り」だけが目的ではないのだ。
大きなテナガも釣ってみたいけど、そこが重要でもなく、、、と私は言いたい。 

 人生に置き換えたとしても、仕事ばかりじゃ辛くて仕方ない!
もっと人間らしく暮らして生きるためにも、
大変な作業もこれからもっと沢山あるだろうけれど、
遊びの感覚だけは絶対に必要なんだと我ながらに思う。
だから、これからも子供みたいに
遊んで生きたい!
自然のある外で。
それで逝きたい。なんつって。


死んだら自然に還してほしいな。 
お墓になんて絶対入りたくない、し、要らないとすらと思っている。

野生動物だって死んだら土に還るわけだから、俺もそうなって、
植物の栄養分になりたい。

粉末にして撒いてもらえれば、それは遺体遺棄罪にはならないらしい。

そんでもってもし生き返ったら、樹木になるのだ。
(本来の樹木葬ってのはそう言うことじゃないのか?)

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