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2020年7月

自然ってなに?


自然ってなんなのか?

いろんなところで、遊んで来て、暮らして来て、みて見て視て来て

自分なりにはよくわかったつもりだ。

その自然ってなにか?をよく理解していない限り、

これから時代、生き抜いていくことはできないんじゃないか?

と思ってしまうのは俺だけだろうか?

自然 ってなに?

うちの子供もわかってるんだろうか?

どうやったら上手いこと理解してもらえるんだろうか?

IMG_2786.jpg

都会だって地方だって、とっくに気がついていたことなんだけれど、

実際、足を踏みこんでみて、高齢化の問題がよりわかってきた。

製材所で働いてみて、今の働き手(60オーバー)がいなくなりそうな
いろんな工場などがいっぱいありそうだってこと。

高齢化ってのも繋がって、何も知らない林業の道を歩んでみたいと思うようになったのだけど。。。その川下にある、製材所もしかり、
だってことはお手伝いしたことでわかった。


先日も、住み始めた町のとある製材所のお手伝いに行ってきたんだけれど。。

そこの働き手ももう55以上のおじさんやおじいさんで。。。

工場長的立場のおじいさんは、膝にサポーターをつけていて
ぎこちなく歩いて作業してた。先月は元気だったのに。
仕事中に痛めてしまったみたいで。。昨日行ったら、
まともに歩くことができないでいた。まじかー.....。

でもその大先輩が機械回してくれないと、製材の仕事も回らないってことは
お手伝いレベルでもわかったことで。。。

この人の技術が継承されないと、この工場はどうなってしまうんだろうか?
なんて考えながら、木材を加工していた。

他の従業員って言っても、大きな工場なれど、50オーバー。
下手したら60歳を過ぎているかも?みんな。

男性二人、女性一人、その人たちとはあまり関わらない、40オーバーのおじさんが、
別の仕事をしていて、あまり仲は良さそうではなかった。

社長も現場で働いてはいるが、工場長との確執?というか、仲が良く
みんなで働いているという、活気は感じられない。

俺に何かできるだろうか?

なんて思ってみたけれど、ただ渡された仕事をこなすことしかできない自分。
だから、手伝い程度に参加させてもらっている俺に何ができるかって?

ここで働くことを決め、担い手になる他ないのかなとも考え込んでしまった。

実際それが確かなのだとは思うが、俺は林業を学ぶために来たって
決めているからそんな簡単に口が出せる立場でもない。


しかし、日本の技術ある高齢労働者が、あといくつになるまで働けるのか?
その担い手が激減している、またはいなくって、
その技術を継承されないまま廃業。なんてことがどんどんいろんなところで
加速してしまい、日本の自給率はさらに下がっちまうんじゃないか?
なんて思わされてしまった。

東京で、コロナのために家でゴロゴロ自粛していた2ヶ月半。
動画ばかりみて、子供らはどうぶつの森ばかりやって。。。。
コロナ関係なくても、適当に仕事して、適当に稼いで、適当に遊んで、
なんかしっくり来ていない時間があまりにも長かった。
そんなくすぶっているなあって感じながらも
さらに都会生活を続けていたならば、俺はもっと腐っていただろうと思う。
あくまでも俺の性格上。。。。


そんな自粛生活をし続けているならば、こういう人たちを
少しでも早くお手伝いできていれば
よかったのになぁ、なんて思ってみたりもした。
今やっとここに来れたから思えること。

来たばっかりの俺が言える立場ではないが、
遠慮なく放っちまうならば、

ただでさえ余っている仕事、必要なの?と思えるインドアな仕事をこなしている
都会(決して東京ばかりではなく)に住んでいる人たちこそ、
今なら地域おこし協力隊なんてプロジェクトもあるわけだから、

各都道府県や市町村、過疎地に引っ越して、地産地消ができる仕事に就いて
技術ある高齢者の担い手になるべきかと思う。

都会の便利な仕事で小金稼ぐよりも、そんな大先輩が築いていた仕事(あくまで地産地消に結びつく仕事のみ)はいっぱいあるわけで。

でも、もう既にかもしれないし、これからさらにだと思うんだけど、

そういう必要で重要な仕事を担っていかないといけない時が来ちゃったんだと思う。

コロナがきっかけを作ってくれたのかとも思う。

まじ都会(東京ばかりではない。地方都市含めて)でくすぶって生きてるならば、
今からでも、地域おこし協力隊なんてもの使えば、
結構簡単に移住もできちゃうのが今な訳だから、

過疎化された地方の、地産地消していくためには重要な仕事にシフトチェンジして、
高齢者からバトンタッチさせてもらって、
日本国内の自給を増やしていけることは、将来の自分ら、子供らのためにも
とっても重要な新たな日本の生き方なんじゃねえのかなと。

どうぶつの森の世界をリアルにやるべき時が来たってことだとも思ったり。。。
それもコロナが教えてくれたって思ったり。。

うちの子供も、もう進学したくなければ、しなくていいから、どこかの田舎で
身体使って働く方がもっと豊かに暮らしていけるのかとも思う。
つーか、まじでこれから、いかに身体使って働くか?ってことが大切かと。

小さな製材所でお手伝いをしながらも、思ってしまった。


硬いな。。


先日、バックホー(ショベルカー)研修に参加した時のこと。
生徒は6人。その中でも自分よりもおじさんが一人だけ混じっていた。
その方と、接しているうちに素性が分かった。

農業高校で、林業を教えていた学校の先生。
卒業した林業に携わる元生徒から、色々突っ込まれたり、
「小馬鹿にされたんだ」って笑いながら言っていて、

退職後に、自ら山を購入し、林業に挑戦して、キノコを育てたり、森を有効活用するために、作業道作りの研修に生徒に戻って参加してきた人生の先輩であった。

要は、勉学ばかりを教えてきたけれど、現場をよく知らなかったってことで、
生徒たちから、笑われて、それが気になっていて、じゃあやってみるぞ!と。
退職後に。
自ら動いて、"実践"して"体感"している今現在。

その話を聞いて、少し胸が熱くなった。

60歳を迎えたおじさん先生が、今行動しているわけだ。

これからは、どんな年齢であっても、尚更、行動&実践&体感している人だけが
面白い人間になっていくんだと思う。


自分が体感したことは自信を持って人にも伝えられるはず。


つーか体感 がまじでこれから重要!

尚更ネット社会なわけだから、ネットで調べてわかりきっているっていう頭でっかちが一番ダサいと思う。

佇まいとは?


「佇まい」 なんて自分でもよく文章を書くときに使ってしまう。

最近では『日本ボロ宿紀行』なんてブログ本がドラマになっちゃうくらいの勢いで、

その「佇まい」ってのは、風景の雰囲気であって、特に、建物の風情に使われる言葉?

なのかな?

昭和っぽい建物
とか、
木材の朽ちた感じ
とか
道端に生えている花が適当な配置で地面から生えている様
とか?

そんなのを視て、あ〜と感じ入ったときに言いたくなる言葉。

今日は宮古にある古い銭湯の天井を見ていて、その朽ちた感じに

いい佇まいだな〜とボケ〜っと眺めていた。

ふと、ブログに載せた養老孟司のユーチューブを思い出す。

養老さんが言っていた、自然についての定義に繋がっている気がした。

決して、綺麗ではないその天井のカビだとか、汚れ?を見ていて、

いいなあと思った理由は、自然だからだ。

時が経って、本来なら清潔感ある綺麗に磨かれた天井にしたいであろう

店主の気持ちも察するが、その、なかなか改修出来なくって、
放っておいてしまっている様に良さと趣を感じた訳だ。
時の流れも感じる、いい具合の汚れが逆に

「自然」を感じさせてくれた。

要は、「自然」とは「中立にあるもの」と言っている養老孟司の言葉の通り、

人が作った不自然なもの(人工物)と自然の間と言ったら良いのか?

その人工物の自然の有り様が、この天井の汚れなのだ。

「佇まい」とは、自然の成り立ちあってこその、かっこよさというか。なんちゅうか?

佇まい="自然のスタイリング"とでも言おうか?

(カッコつけた言葉はカッコ悪いな。。。。)

言ってることがほぼ全て共感しかない。


自然=中立 

ってことはとても勉強になった。

「都会」がダメで「田舎」がいい訳でもはなくて、自然が求められている。今。

なおさら。今。

確実におかしくなっている現実。コロナだって自然。

それに対してアタマでっかちになり過ぎちゃってる世の中の人人。

自然に相手にしてもらえば、わかることがたくさんある。

こんな状況でもどう暮らせば良いのか?

田舎の山奥で自然と共存して暮らしてきた、ばあちゃんもじいちゃんも

テレビのおかげで影響うけちゃっているのを

見ちゃうとなんとも言えない気持ちになる。

もっと自分で感じて行動しようと思う。

まさにブルースリーの言葉がぴったり。

Don't think, feel


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