おばあちゃんの知恵


 うちはマンションの一階にあって庭付きである。
マンションを探してた時の条件は「庭付き」だということ。
奥さんは上の階に住みたかったらしいけれど。。。

うちの経済力では都内に一戸建てを買えたとしても庭は確実に手に入れられないほどの土地しか買えないわけで。。

どうしても庭が欲しかった。だから都内では庭が充実しているのはマンションだってことだ。

うちの庭には二羽のニワトリなんていやしないけれど、季節に応じて何種類かの野鳥がやってくる。
雀、キジバト、ヒヨドリ、シジュウカラ、メジロ。わかる範囲でもこのくらい。

庭に鳥の鳴き声が響くのはなんとも心地よいもんで。。。。

そんな自分は、ホームセンターやペットショップに立ち寄った時、小鳥の餌を買うようにしている。
庭に餌を置いておくと、野鳥がやってきては啄ばんでくれる。大半が雀ばかりだけどね。

チュンチュンと庭が騒がしくなるのが微笑ましく、我が庭にお客さんが訪ねて来てくれることはヒジョーに嬉しいわけで静かに出迎えては眺めている。

こんなことをほざいていると、なんとも「俺は爺様になっちまったのか?」
なんて思わなくもないのだけれど、歳を取るってことは、そういった身近で些細なことにも
気がまわるってことで、良しとしておこー。
小さな幸せで結構けっこーコケッコー。
ニワトリを庭で買ったら近所にはヒンシュクもんだろうな〜。
大草原の小さな家」のインガルス家みたいに自由にニワトリを飼って暮らしたいものだ全く。そんでもって、オルソンさんとこのジェネラルストアに毎朝卵を売りに行く。
なんて素敵な生活だろうか?

ある日の朝、庭に置いてあるエサ皿の上に鳥の餌を撒いてから朝飯を食っていると、奥さんがふと呟いた。
「うちのおばあちゃんは毎朝、ごはん茶碗に残った飯粒にお湯を入れて庭に撒いてたっけ」

へえ〜。それいいな。なんて思って早速真似してみた。

俺のばあちゃんがよく言っていたことは「お百姓さんが大事に育ててきたごはんなんだから、一粒一粒残さずに大事にお食べ!」なんてよく言われていた記憶があるけれど。。。。
奥さんのおばあちゃんの行為はなんかほっこりさせられるっつうか.......。

人間様が残した米粒を小さな鳥たちにも分ける日常の行為ってのに生物の平等さっつったらちょっと言い方間違っているのかもしれないけれど、なんつーか"家の庭の暮らしに野生生物との共存がある"ってのはとても良い印象を受けたってことを言いたいわけである。

その奥さんが思い出したおばあちゃんの行為は、"昔ならではの所作"なのかな?
食器を洗うって意味合いと、雀の餌にもなるって一石二鳥な部分がなんとも素敵だ。

戦前を知っている俺のおばあちゃんが言ってたこともよく解るののだけれど、ごはん茶碗に付いた飯粒をつまみあげて食うのはとても大変な訳で、アレは正直面倒だった。

俺も子供に対して、ばあちゃんのように、最後まで飯粒を平げな!だとか、
保育園で習った言葉、「お皿ぴっかり〜!」何て教育も人間様の作法としては良きマナーなのかもしれないけれど、俺には奥さんのばあちゃんの所作の方がなんともしっくりくるわけだ。

これはお庭がないと出来ない行為なんだろうけれど、ふとこの話を思い出すたんびに、お湯を入れて庭に撒くようにしている。


IMG_2907.jpg

月別 アーカイブ